光の扉 (オープン・ザ・ゲート) 〔3〕

「―――だから、あたしはタリスマンの力を借りてルークを倒したの」
 リナがそう締めくくる頃には、香茶はすっかり冷たくなっていた。
「ゼルと別れてから、タリスマンが砕けるまでの経緯はこれで全部よ」
 リナはゆっくりと椅子から立ち上がった。
「リナ?」
 ライティングの魔力が途切れ、徐々に部屋を照らす光が弱く淡くなっていく。
 訪れる闇の中で、リナの声が静かに響いた。
「あの二人のことはいまでも痛みを伴うわ。あたしたちや、ゼル―――あんたとアメリアがああならない保証なんかどこにもないんだから。だからこそ、この痛みは忘れられていくような………癒されて、薄れていくべき痛みじゃない。あたしはそう思ってる。墓の中までこの気持ちを持ってくつもりよ」
 完全に光が消え、部屋は闇に閉ざされる。
「それはともかく」
 リナの声がして、フッと明かりがともった。
 手の中のライティングの皓い光に照らされる、その強い表情。
 輝く真紅の瞳に、ゼルガディスは、きっとガウリイはリナのこういうところに惚れたのだろうなと、ぼんやりと思った。
「魔王の欠片は滅びたけれど、魔族がおとなしくなったわけでもないわ。タリスマンを失ったということは、魔族への対抗手段を封じられたのと一緒。あたしはいままでずっとその打開策を探してた。でもね―――」
 そのリナがフッと笑う。
「タリスマンの代わりが、つい最近手に入ったの。アメリアのおかげでね」
「あいつの?」
「そう。あたし自身にはもう何の懸念もないわ。だから………」
 リナの視線が、寝室とは別のドアへと向けられる。
「一緒に来てちょうだい。あたしは、ちょうどあんたを探していたところだったのよ」
 リナがライティングを片手に、ゼルガディスをいざなった。
「ガウリイ。あたし、ゼルと地下に行くから先に休んでて。一緒にきてもいいけど、たぶん専門的な話になると思うから」
「わかった。あんまし遅くなるなよ。明日出かけるんだろ?」
「わかってる。
 ―――こっちよ、ゼル」
 リナが、ドアを開けた。
 その後に続きながら、ゼルガディスはガウリイに軽く片手をあげる。
「―――悪いな。明日借りてくぞ」
「別にいいさ。お前さん、借り逃げなんか絶対しそうにないからな」
「あたりまえだ。んな恐ろしいことできるか」
「ちょっとー、何話してんのー? さっさと来なさいってば」
 リナの声がする。
 ちょっと笑って、ゼルガディスはリナの後を追った。




「………何だって地下室に井戸があるんだ」
 それがゼルガディスの第一声だった。
 リナに案内された、土がむき出しの地下室の真ん中には、石を積んで造った井戸が鎮座していた。
「まさかと思うが掘ったのか?」
「はあ? なんで井戸なんかわざわざ掘んなきゃいけないのよ。んなもん浄結水アクア・クリエイトでどーにかしてるに決まってるでしょーが」
「………それはそれでなかなか乱暴な方法だと思うが。だいだいそれだと魔法が使えないときはどうしてる」
 かなり突っ込んだゼルガディスの質問に、リナはやや顔を赤らめつつもパタパタ手をふった。
「一週間分溜めておく。あ、でも最近はリアが代わりに唱えてくれるようになったから♪」
「…………俺はあんたの娘の将来が切実に心配になってきたよ」
「そんで、この井戸だけど、何かこの家買ったときについてた。そのとき、もうすでに涸れてたわ」
 だから、中を降りていった先の水が溜まっていた空間を呪文で拡張して、魔道の研究室に使っているのだという。
「浮遊でもそこのハシゴでもいいから、とにかく下に降りてくれる? あたしは浮遊使うけど」
 そう言って、ゼルガディスの返答を待たずに、さっさとリナは井戸の底へと降りていった。ヒカリゴケでもあるのか、底の方から光が漏れている。
 ふわふわと降りていく最中に、ゼルガディスはふとリナに声をかけた。
「そういえば、いつユズハと逢ったんだ?」
「五年とちょっと前かしら。王宮でね。たしかそんときにお腹にリアがいるってユズハにバレちゃったのよ」
 ならばゼルガディスが、アメリアとユズハと別れてすぐの後のことだ。
 井戸の底は、思ったよりも広かった。
 そこかしこでヒカリゴケが発光していて、ぼんやりと置かれたものの輪郭を浮かび上がらせる。
 リナが置かれた二つの燭台にライティングをかけた。
 とりあえず、やたらと本が多い部屋だった。代わりと言ってはなんだが実験器具のたぐいはあまり見当たらず、魔道士の研究室というよりは学者の書斎のようだった。
 どれもきちんと整理されて、片づいている。
「いつもはもっと散らかってるんだけどね。ちょうど研究が必要なくなったときだったから。ほんっといいタイミングで来てくれたわ、アンタ」
「必要がなくなった?」
 リナは戸棚から革袋を取り出すと、ゼルガディスに向かって放り投げた。
 受け止めて、中を見るように促されて、ゼルガディスは無言で表情を動かした。
「そういうこと。アメリアのおかげで代わりが手に入ったから、魔力増幅の研究をする必要がなくなったってわけ」
「これはどうした?」
「セイルーンの宝物庫に眠っていたのをアメリアが横流ししてくれたのよ」
 実に彼女らしかぬ話を聞いたと思った。
「………正義か、それは?」
「さあ?」
 リナは知らぬとばかりに小さく肩をすくめる。
「秋口にセイルーンに賊が入ったって知ってる?」
「いや………それで?」
 話の先をゼルガディスが促した。
「盗まれたのは、国璽とコレ。まあ国璽は国璽で別にちゃんと片づいたみたいだけど、これはね、セイルーンに置いとくと危険だからって理由もあって、あたしのところにまわってきたってわけ」
 リナがちょっとだけ気遣うように笑ってみせた。
「がんばってるわよ、あの子」
「…………」
 ゼルガディスがわずかに目を細めた。
 ライティングとヒカリゴケが混じり合った部屋の光は、少しばかり明るすぎる。 
「ま、それはそれとして」
 リナは椅子を引っ張ってきてゼルに座るように指さすと、机の棚に置かれた薄い冊子を取りあげた。
 椅子に腰掛けたゼルガディスの前で行儀悪く机に座って足を組むと、リナは膝の上に冊子をトンと立ててみせる。
「クローラー=イフェル=シオンって魔道士、聞いたことある? あと、彼女の研究のパートナーであるユリシス=ログラント」
 ゼルガディスの氷蒼の瞳が、鋭い光を帯びた。
「―――ある。たしか、数年前に『生命の水』の改良版を作り出して有名になった魔道士だろう?」
「そんな顔しないでくれる? 確かに彼女たちは合成獣を研究している魔道士だけど」
 リナは軽く肩をすくめる。
「彼女たちはあたしの同期なの。去年、彼女たちはある実験を成功させた。それはまだ公には発表されてない」
 膝の上に肘を乗せ、その手のひらに顎をのせると言った恰好のリナが、冊子をゼルガディスに目で示す。
「あの二人は、去年、邪妖精とウサギの合成体からウサギだけを取り出すことに成功したわ。そして今年は、その逆―――邪妖精だけを取り出すことにも成功してる………わかるわね?」
 放り投げられた冊子をゼルガディスは引ったくるようにして受けとった。
 食い入るようにページをめくっているゼルガディスに、リナは静かに続ける。
「もちろん、完全な技術じゃないわ。ウサギを取り出したときは、邪妖精は原型を留めてないし、邪妖精を取り出したときは、ウサギもウサギじゃなくなってる。三つ以上の合成に関してはほとんどノータッチよ。でもね………」
「言わなくていい」
 ゼルガディスはほとんどうめくようにして目を閉じた。
「言わせてちょうだい、ゼル。あたしがそのことを聞いたとき、どんなに嬉しかったと思う………?」
 分離などという、おおよそ誰も目をとめない分野を研究していてくれたあの二人に、どれほどの感謝と祈りを捧げたか。
 二回以上の成功は、その技術が確立されたということだ。
 分離成功の話を聞いたとき、リナはゼルガディスのことを二人に話して協力を求めた。ただの興味から始まった研究に、明確な目的を提示した。
 もちろん問題は堆積している。合成獣に多用されている邪妖精とは違い、もうひとつの石人形の方に関しては、何もわからないに等しい。
 それでも。
「本当にタイミング良く来てくれたわ、あんた」
「…………俺もそう思う」
 ゼルガディスは立ち上がってリナのところまで歩いてくると、冊子をリナに返した。
「明日の遺跡探索には持っていけん。しばらく置いてといてくれ」
「わかったわ」
 冊子を棚に戻して、リナは机の上から降りた。
「そろそろ上に戻りましょ」
「ああ」
 浮遊で上にあがる途中、リナが不意に口を開いた。
「これからはこまめに連絡をよこしてちょうだい。何かあったら、知らせるから」
「………アメリアには」
「言わないわ。アメリアは五年間、ずっと変わらずにあんたを信じてる。いまさら余計なことを言う必要はないわ。それこそ、本当に戻ったときに知らせるべきよ。ま、これはあたしの独断だけど」
 だいじょうぶよ、と言って、リナは不意に笑った。
「やっぱり、気になるのね」
「悪いか」
「逆よかマシよ。だいじょうぶよ。味方も増えたみたいだし」
「味方?」
「王宮内でのね。あれは珍品よ」
 くすくす笑って、リナはゼルガディスを見た。
「だから、やれることからやんなきゃね。まずは明日の探索からよ」
「そうだな」
 穏やかな感情に満たされていく胸のうちを自覚しながら、ゼルガディスはそう答えた。