光の扉 (オープン・ザ・ゲート) 〔4〕

 この季節の早朝の大気は、もはや肌寒い通り越して完璧に寒い。
 リナとゼルガディスは朝早く、リアが起きてごねだす前に家を出た。
 白く煙る呼気を吐き出しながら、リナがしきりと首をひねっている。
「でも、この森の中にそんな施設があったんなら、あたしはもとより村の人が気づかないわけないと思うんだけど?」
 どうやら自分の近所にお宝が眠っていたのに全く気づかなかったのが納得いかないらしい。
「それはしかたがないだろうな。俺がつかんだ話では地下だ」
「それでもどっかに入り口があるはずでしょう?」
「ないぞ」
 あっさりそう言われて、リナは目が点になった。
「は?」
「ないと言ったんだ」
 律儀にくり返すあたりがなんとも彼らしい。
「じゃ、どこから入るのよ?」
「どうやら、空間をおかしなふうにねじまげて離れたところに入り口を作っていたらしくてな。ここにはない」
「じゃどうすんの」
「あんたらしくもないセリフだな」
 逆に言い返されてリナは目をしばたたいたが、すぐにニヤリと笑った。
「ふぅん、場所はここでいいのね?」
「おそらくな」
「じゃ、さくさくいきましょうか。リアにおみやげ持ってかえんないとスネられるしね」
「いったい研究施設跡から何をみやげに持ってかえる気だお前は………」
「いろいろ」
 もはやそれには答えず、ゼルガディスは呪文を唱えだした。
 合成獣にされる前。もはや記憶はおぼろだが、それでも自分の魔力容量はいまの半分ほどしかなかったはずだ。
 この魔力容量は邪妖精のもの。
 欲しかったはずなのに、失ってもいいと思えるものは、確かにこの世に存在するのだ。
 そして、その逆も。

地精道ベフィス・ブリング

 リナとゼルガディスの声が唱和した。




「ちょっと待てえええええぇぇぇっ!」
 水をまき散らしながらリナが絶叫した。
「地下水脈だなんて聞いてないわよッ!」
「俺に言うな!」
「だってゼルがこのあたりだって言ったんじゃない!」
「間違ってはいないだろうがッ」
「水没してるなんて思うわけないでしょおおおおおおっ。寒いいいいっ」
 レビテーションで降りたため、当然のごとく水流に呑まれかけて水浸しになって地上に戻ってきた二人は、気を取り直して風の結界をはって再び地下へと降りた。
「ったく、うちの井戸は枯れてたくせに何だってここは水没してるのよ」
 ぶちぶちとリナが文句を言いながら結界を操った。
 リナが操作。ゼルガディスが維持。結界のなかでは事前に唱えておいたライティングが浮いている。
「おそらく水脈の流れが変わってしまったんだろうな」
「さっさと乾いた場所へ出るわよ。あんたと窒息なんて死んでもごめんよ」
「俺もごめんだ」
 水脈の流れに添うようにして部屋や通路とおぼしき空間を移動していった二人は、上へと続いてる階段を見つけて、ようやっと水のない場所へと降り立った。
「うああああっ、寒いっ。こんなことなら来るんじゃなかった」
 ぶちぶち言いながらリナがマントから水を絞っていると、あたりを調べていたゼルガディスが戻ってきた。
「上にあがってきたのはまずかったか」
「そりゃ地下施設はたいてい一番深いところに一番重要なものがあるってのがお約束だけど、下に行けば行くほど水圧が高くなるわよ? あんたは良くてもあたしはイヤよ」
 濡れた髪の感触に顔をしかめて、リナはゼルガディスに問いかけた。
「何? 何もないの、このフロア?」
「まだ詳しくは調べていない」
「じゃあ、行きましょうか」
 ライティングを小剣の先に唱えなおすと、リナは不意に苦笑した。
「リア連れてこなくて正解だわ。風邪ひいちゃう」
 何やら珍妙な目つきでゼルガディスが見ていることに気がついて、リナは片眉を上げた。
「何よ?」
「いや。何というか、子持ちなんだなと思っただけだ」
「はぁ?」
「聞き流せ。言ってる俺にもよくわからん」
 笑いを噛み殺しながら、ゼルガディスは通路の奥を指で示した。
「行くぞ」



「ここはどういう場所だったの?」
「わからん。一度も来たことはないし、話に聞いたこともない」
 ゼルガディスは自分の歩いてきた通路をふり返った。
 靴が埋もれてしまうほどに堆積した細かい土埃にくっきりと刻みこまれた自分たちの足跡。
 リナもうなずく。
「少なくとも、かなりの年月使われてないわね」
 埃というのは放っておくと、日常生活の中においても、あまり空気の動きがない窓枠などにかなり厚く積もるものだ。
 ましてやここは地下。
「でも、ここってかなり利用されてた場所だったんじゃないの?」
 しばらく歩いたあと、リナがそう言った。
「だろうな」
 ここまで歩いて部屋を見てきてわかったが、居住区とおぼしき空間の取り方がかなり大きかった。居着いていた証拠である。
「それなのに、どうしてゼルが知らなかったわけ?」
「無茶言うな。もっぱら俺はライゼール方面にいたんだ」
「そーいや、あんたと出逢ったのもアトラスだったっけ」
「それにだ」
 ゼルガディスは足下の埃を靴で寄せた。
「この土の量と、どの部屋にも何もなかったことからして、ここは破棄されたんだろう。もしそれが俺がこんな体になる前だったとしたら、知っていたとしても忘れている」
 リナがわずかに眉をひそめた
「………どういうこと?」
「精神面に邪妖精が合成されたおかげでな。それ以前と直後の記憶は曖昧なんだ。一応、おぼろげに覚えてはいるがな」
 小さく肩をすくめて、ゼルガディスはそっけなく答えた。
 沈黙したリナの視線を顔に感じたが無視していると、軽い嘆息の音が聞こえた。
「そう。良かったわね」
「…………」
 ゼルガディスは笑った。
「よくわかるな」
「多分そう思ってるんだろうなってのはね。だからって同意してないし、気休めただけよ。だいたいあたしが気休めなんか言う時点でかなりマズイんだから」
 今度はゼルガディスのほうが眉をひそめた。
「なんだ、それは」
「なんだって言われても、そのまんまの意味よ。あたしは突き放すもの。あんたがどうなろうと傷口が広がろうと手を差し伸べたりなんかしないわ。その代わり、あんたがどうなろうとつきあってくつもり。
 手を差し伸べて、どうなろうとあんたと寄り添ってくのは、あたしじゃない」
 黙って二人とも歩いた。
「―――焦ってんじゃないわよ」
「……………できると思うか」
「思わない。けれど焦ったって良いことなんかひとつもないのよ」
「それはそうだが………本音でもない正論を吐くな。腹が立つ」
 リナが小さく笑って、通路の先にあるものを指さした。さっき来たところとは別の、今度はきちんと乾いた下りの階段。
「本音が自然と正論になるのは、アメリアだけよ」
「…………」
 ゼルガディスがしばらく考え込んだあとで、ようやく口を開いた。
「それもそうだな。お前は本音を吐いても正論だった試しがないからな」
「をい………」
 笑いながら、ゼルガディスは先に階段を下っていった。
「良く笑うようになったわね、あんた―――って急に止まらないでよ!」
 危うくゼルガディスの背中にぶつかりそうになったリナは文句を言いながら、前方を覗きこんだ。
「…………何よ、このあからさまに不自然な壁は」
「俺に聞くな」
 言いながらゼルガディスは、階段を下りて数歩もしないうちにぶつかった行き止まりの壁に手を這わせた。
「何かある?」
 同じく右手の手袋を脱いで、リナが壁を触る。
 これでは階段をつくる意味がない。疑ってくださいとばかりに立ちふさがっている壁だった。
「急いで、何かを封じた………? この先にあるものを」
「砕くぞ」
 簡潔にゼルガディスが結論を下し、呪文を唱えて岩の壁に向かって放った。
 そうして二人は絶句する。
「やだ、傷ひとつ付いてないじゃない」
「何なんだこれは」
 見た目はごく普通の岩である。
 二人は目配せしあったあと、おもむろにライティングを唱えだした。
 無数のライティングが狭い空間を隅々まで照らし出してから、二人は壁を調べ始めた。
 場所を変えてリナが呪文を放ってみたが、やはりダメ。試しにとばかりに精神系の魔法も撃ってみたが、これもやはり効果はない。地精道(ベフィス・ブリング)も霊呪法(ヴ=ヴライマ)も無駄だった。
 スイッチや動かす装置がどこかにあるのかと思い、手分けして探すも、それらしいものは全く見つからない。
 理不尽の塊のような壁だった。
 リナが癇癪を起こして階段に座りこむ。
「何よこれは! 何だって魔法が効かないわけ !?」
「いったん戻って今度はガウリイと来てみるか」
「斬れるかしらねぇ、これ………」
 しばらく唸ったあとで、リナはおもむろに腰から剣を抜き取り、柄の部分で壁をいきおいよく叩きはじめた。
「ねえ、これの横の壁を砕いていって、この壁を迂回して向こう側に出るってことできないかしら」
「そんな誰にでも思いつくようなことには、普通対策がほどこされているもんじゃないのか」
「かもね。でも、思いついちゃったからには別に試したっていいでしょ」
「やってみろ。俺にとばっちりはくれるなよ」
「うるさいこと言わずに了承してくれるのはいいんだけど、わざわざ釘ささないでほしいわね」
 リナの口から混沌の言語が紡がれる。
 その内容を聞いたゼルガディスは階段のところまで後退し、場所をあけた。
石霊呪ヴ=ヴライマ!」
 ごっ。
 すぐに目の前の壁が魔力に反応してゴーレムとしての形をとろうと動き出す。
 数分後。
「いいのか、こんなしょーもない方法で攻略して………」
 目の前でぽっかりゴーレム形に開いた入り口に、ゼルガディスが頭痛をこらえるような表情で呟いた