翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔10〕
その工房のある村までは十日ほどの行程だった。
とりあえずその工房までは何事もなく無事にたどりつき、シルフィールたちはアメリアからの親書を、工房の主だという老人に渡した。
親書を読み終えた老人が無言で眉を動かした。
「お願いします」
シルフィールの言葉に、羊皮紙から顔をあげた老人はにやりと笑った。
「何と書いてあるか知りたいかね」
「あたしたちがここに来た理由でしょ」
とりつくしまもなくイルニーフェが言うと、親書の宛先―――グードと名乗る老人はさらに笑った。
「そりゃそうじゃがな。王宮の物を知り合いに横流ししたいのでよろしくたのむと書いてあるわい」
大笑いするグードにイルニーフェがこめかみに指をあてて唸った。
「あたし、身柄を預けた自分の判断が正しかったのか、いまいち自信が持てなくなってきたわ………」
「正式に依頼を受けたことだしの。さっさと取りかかったほうが無難じゃろう。その剣とやらはどこかね」
「これです」
シルフィールが布をほどいてグードに差し出した。どれも、何の変哲もない剣に宝玉を留め付けたような細工で、宝物庫にあまりふさわしい剣だとは言えない。
それを手にとって検分しながら、何気ない口調でグードが三人に訊ねる。
「ところでお前さんがたはアメリア嬢ちゃんの近侍か何かかね」
「わたくしは友人です。こちらのユズハちゃんはアメリアさんに引き取られて王宮で暮らしているハーフエルフです」
「………あたしはいまその提案を見当している最中よ」
「あくまでも私的にわしのところに来るか。そういうあたりがわしがアメリア姫様を好きな理由でな。わしが役人が嫌いなことをちゃーんと知っておる」
一通り宝玉が留められている部分を見終わったグードは、テーブルから立ち上がると、片足をひきずりながら奥の棚のところまで歩いていき、そして何やら工具の入った箱を持ってまた戻ってきた。
「はずすだけならすぐにできる」
宝玉を留めている爪をひとつひとつ丁寧にはずすその作業を、三人はしばらく見守っていたが、不意にグードがシルフィールに訊ねた。
「アメリア嬢ちゃんの友達と言ったね。別嬪さん」
「はあ………」
別嬪呼ばわりされて、曖昧な表情でシルフィールがうなずく。
「嬢ちゃんはまだわしのやった耳飾りを持っとるのかね。銀と瑠璃の細工のやつじゃが」
「持ってル」
答えたのはシルフィールではなく、先ほどから興味津々でグードの手つきを見守っていたユズハだった。
「持ってル。ずっとしてル」
爪をはずす手を休めて、グードが顔をあげてユズハを見た。
「嬢ちゃんはアメリア姫様と暮らしておるのか?」
「ン、一緒いる」
「そんなに大事にしてくれとるのか」
「それどころか公式行事にも見合いにもつけていくって、もっぱらの噂よ」
イルニーフェが呆れた口調で口をはさんだ。
グードがおもしろそうに頷く。
「ほう、ほう。それはまたどうして」
「理由がわかっていればこんなに噂になって、詮索されるもんですか」
イルニーフェの容赦のない物言いに、グードは質問する相手を変えた。
「ユズハ嬢ちゃんは知っとるのかね」
訊ねられたユズハが上目遣いにグードを見た。
「もう片方を、待っテるの」
それを聞いたイルニーフェが舌打ちの音をたてた。
「いちばん女官たちが喜びそうな展開になってきたわ」
「イルニーフェさん?」
シルフィールに呼ばれて、イルニーフェは苦い表情で応える。
「あたしは女官見習いだったもの。ずっと王宮と神殿内の噂話は耳にしてきているの。真実が謎のままだから、見える範囲の事実にどれだけ女官たちが想像をたくましくしているか厭と言うほど知ってるわ。色々な憶測が飛び交っているけれど、いちばん人気があるのはアメリア王女が王宮を出て身分を隠していたときに知り合った男性との片恋に殉じて、その人からもらった瑠璃の飾りを形見に一生を独身で過ごす気でいるってやつかしら」
聞いた途端に肩をふるわせて笑いをこらえはじめたシルフィールに、イルニーフェはその小さな肩を軽くすくめた。
「ほんと、女官ってこういう話が好きよね。他にも色々あるわよ。相手が死んでいるパターンとか生きているパターンとか、実は隣国の王子だとか実はエルフだとか実は有名な神官の家系の人間だとか」
「あまり笑わせんでくれんか。手元が狂う」
「あら、ごめんなさい」
イルニーフェはすました顔でグードに謝った。
不意に奥のドアが開いて、息子だという男性がお茶のカップを三人の前に置いて、またどこかに行ってしまった。
さっそくユズハとイルニーフェがそのお茶に手を伸ばす。
ふうふういいながらイルニーフェがお茶を冷ましていると、ひとつ目の魔血玉を台座から取りはずしたグードが妙にしみじみと呟いた。
「そうか、待っとるのか。わしゃ絶対駆け落ちすると思って楽しみにしておったんじゃが………」
シルフィールが、危うく香茶を吹き出しそうになった。
「おじいさん、アメリア王女の相手を知ってるの?」
ひたすらむせているシルフィールの隣りで、イルニーフェが唖然としてグードに訊ねた。
飄々とグードが答える。
「知っとるも何も。数年前のアメリア姫様の出奔を手伝ったのはこのわしじゃ」
「………それで『私個人の御用達』なわけね。よおくわかったわ………」
「訊かんのか?」
「あいにくと」
イルニーフェは泰然とした面もちで冷ました香茶をすすった。
「あたしは他人様の恋愛なんかどうでもいいの。そういうことは王宮の女官たちに話してあげることね。きっとものすごく喜ばれるわ」
「子どもじゃの」
少女はにっこり笑って言い返した。
「ええ、子どもなの。前途有望な青少年に、害毒を吹きこんじゃだめよ。おじいさん」
「年寄りならではの楽しみなんじゃがの」
「こっちにしてあげたら? 刷りこみやすいと思うわ」
話をふられたユズハがきょとんとイルニーフェを見返した。
「その嬢ちゃんはわしが知ってることなぞ、とっくに知ってそうじゃよ。
―――さて、とりあえず二つははずれたぞ。とりあえずこれを持って宿に帰るとよかろう。夕方までには残りも全部取りはずせるだろうよ」
凝った肩をまわしながらグードがそう言って、まわすついでに首を傾げた。
「しかし何の石じゃ、これは? 長年色んな石を見てきたが、こんな妙な石は初めて見るぞ」
シルフィールとイルニーフェは、無言で視線を交わしあった。
その夜、シルフィールがグードから受け取った賢者の石をひとつひとつ布で包んで皮の袋に入れていると、寝る支度をしたイルニーフェがベッドに腰掛けながら、訊ねてきた。
「シルフィール?」
「何です?」
「訊いてもいいかしら」
革袋の口をしっかりと閉じると、シルフィールはそれをイルニーフェの首にペンダントのようにかけた。
「何を訊きたいんです?」
何事もなかったかのようにシルフィールは訊ね返したが、突然革ひもをかけられたイルニーフェの方は驚いて別のことを口にした。
「どうしてあたしに持たせるの」
「これはあなたの旅でもありますから。まさかあなたが持ってるとは思わないでしょうし。
―――それで? 何を訊きたいんです?」
「これを届けるリナ=インバースってどんな人物なの?」
シルフィールの表情を見て、慌ててイルニーフェは手をふった。
「勘違いしないで。『魔を滅する者』の二つ名を冠する魔道士だってことぐらい知ってるわ。ただ、あなたとアメリア王女はリナ=インバースの知り合いなのでしょう? 竜破斬で山を消し飛ばすってほんと?」
「ええ」
「………あっさり肯定しないでくれる? ほんの冗談のつもりだったんだけど」
シルフィールは苦笑した。
「でも事実ですし。それだけじゃないですけどね」
『石』を預けにいくんだもの。知ってたほうがいいと思わない?」
慎重に賢者の石のことを伏せたイルニーフェの問いに応えた声は、シルフィールのものではなかった。
「りな。きれい。キラキラしてるの」
「………そういう理解に苦しむ抽象的表現で答えないでくれるかしら」
三人分の枕をうずたかく積み上げてはタックルして崩すという行為を繰り返していたユズハが、枕にうもれながらイルニーフェを見上げた。
「だっテ、そう、なんだモン」
「もう少し具体的な言葉を使ってちょうだい。で、シルフィールの方はどうなのかしら」
「すごい人です」
「…………あなたもこの半エルフと同レベルなの?」
うんざりした表情でイルニーフェが呟くと、シルフィールは首を傾げた。
「だって他にどう表現していいか………」
「すごい人だってのはわかるわよ。全然たいしたことのないごく普通のただの八百屋さんが『魔を滅する者』なんて呼ばれるような世界に、あたし、生を受けたと思いたくないわ」
鼻の頭にしわを寄せてイルニーフェがそう言うと、考えこんでいたシルフィールは得心がいったかのように、ああ、と声をあげた。
「以前アメリアさんに、知っている人に目が似ていると言われたでしょう?」
「そんなこともあったかしら」
「それがリナさんです」
「………は?」
眉をひそめる少女にシルフィールは微笑む。
「あなたの目はリナさんによく似ています。目元がっていう話じゃないですよ。目の光が、輝きが似ているんです」
イルニーフェは急に深々と溜め息をついた。
「きっとあたしリナ=インバースと仲良くなれないわ」
「イルニーフェさん?」
「あたし、自分がどれだけ度し難い性格か自分でよぉーく知ってるの。あたしに似てるんなら、あたしは多分リナ=インバースのことは好きになれないでしょうね。近親憎悪ってやつかしら」
「似てナイもん」
ユズハのセリフに、イルニーフェはもはや怒る気にもなれず、ひらひらと手をふった。
「ああ、そう。それなら多分なんとかなるでしょうよ」
「強い女性ですよ」
シルフィールのほうを見ると、長く柔らかな黒髪を背に流して、彼女はイルニーフェに向かって笑ってみせた。
その目に宿っているのは、微かな憧憬。
落ち着いた穏やかな目の光だった。
「何て言うんでしょうね………。そうですね……、鮮やかな人です。きっとイルニーフェさんも逢ってみればわかります」
「そう………」
イルニーフェはうなずいた。
彼女に目が似ていたということが、アメリアが自分を気に入った要因のひとつならば、これから逢う彼女も自分の命の恩人ということになるのだろう。
何にせよ、すべては偽の玉を取りつけてからだ。
香茶を片手に、アメリアは何度目かの溜め息をついていた。
「慰問だろうが何だろうが、結局ご機嫌伺いにきてるだけじゃないですか」
あの後、事件を知った各地の領主から「この度はとんだ御災難でしたなあ、つきましてはこの間の布告のことなのですが云々」的な使者がひっきりなしに訪れるので、アメリアの機嫌は沈没したまま浮上してくる気配がなかった。
ユズハがいればまだ自制できるのだろうが、自分から手放してしまった以上、これに関してはだれにも文句の言いようがない。
「………うまくやってくれるといいんですけど………」
ふと空に視線を投げて、アメリアは顔を曇らせた。
シルフィールたちがセイルーンを発ってから今日で十日になる。そろそろグードの工房に着いている頃だろう。グード老人にはあれから逢っていないが、元気だろうか。
リナたちには急使を飛ばした。公的な書状で召喚をうながしておいて、『裏』にはひそかにユズハたちのことを記してある。リナがアメリアの意図に気づくことを祈るしかない。
あれこれ思案していると、入り口のところで聞きたくもない声が聞きたくもないことを告げた。
「アメリア様。慰問の使者が目通りを願っておりますが」
「またですか !?」
思わずアメリアが悲鳴のような声をあげると、告げにきた侍従が首をすくめた。
「こんどはどこです」
「マラード公国です」
「はっ?」
椅子から立ち上がりかけていたアメリアは、それを聞いて思わず再び座り直した。
マラードにはアセルスが帰国した際に慰問は無用との言伝を託してある。だいたいマラードの王女が事が起きた真っ最中に王宮に滞在していたのだから、慰問も何もない。
アメリアはふと思い当たることがあって、思わず眉間にその指をあてた。
「………使者の方はどなたです」
「―――僕だよ」
「………やっぱり」
アメリアが出向くのを待たずに自分から部屋に赴いたマラードの公子が、彼女の視線の先でひらひらと手をふっていた。