翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔9〕

 時間はあの夜の翌日まで遡る。
 イルニーフェに部屋を追い出されて、私室に戻ったアメリアが次に目を覚ますと、もう夕方に近かった。
 病人扱いする女官を追い出してドアに鍵をかけ、アメリアはベッドの下の包みを再び引っぱり出す。
 そして慎重に、指先を赤い宝玉に触れさせて、呪文を紡いだ。
「―――ライティング」
 予測して目を閉じていたにも関わらず、まぶたの裏を皓い光が灼いた。
 持続時間と明るさは反比例するはずなのに、なかなか消えようとしないそれに、まぶしさを物ともしないユズハがシーツをかぶせて枕ごとその上にダイビングする。何やら人魂とじゃれあっているネコのようだった。もっともそんなネコがいるのかは疑問だが。
 ライティングの皓い光にかき消されるなか、一瞬だけ宝玉がその色を変えたのをアメリアは見て取った。
 淡い、蒼。
 次々に試した他の三つも、それぞれの色に輝いた。白。黒。そして、赤。
 アメリアはその色を知っていた。
 その輝きに彩られて力をふるっていた女性を知っていた。
 完璧に同じ物だとは言えないだろう。あれは魔族から直接、丁重に譲り受けたものだ。同じはずがない。
 けれど、間違いなくこれは。
 この柄飾りの宝玉は―――――


「賢者の石………」


 リナから事の顛末は聞いた。
 どうして魔血玉デモンブラッドを身につけていないのか。魔血玉のその正体も。
 新しい仲間の死を語るリナの口から聞いた。


 ―――アメリアは剣を隠匿することを心に決めた。




「………賢者の石?」
 薄暗い書庫のなか、イルニーフェが眉をはねあげた。
「馬鹿言わないで。なんでそんな伝説上の物がこんなところにあるのよ」
「あったんですからしかたありません」
 あっさり言われて、イルニーフェのほうが返す言葉に困る。
「―――でも、もしそれが本当に賢者の石なら、即刻庫に戻して厳重に保管すべきだわ。なんだってわざわざそれを一個人のもとに届けるっていうの。あなた実はやっぱり頭悪いの?」
「保管を誤って、セイルーンが壊滅するのはいただけません。それに、届け先の人は以前にも賢者の石を持ってた人ですから。ね、シルフィールさん」
 イルニーフェが今度は眉間にしわを寄せた。
「………賢者の石を持っていた人間がいるなんて話、急に言われても信じられるものじゃないわ。あなたたち、いったいどんな世界に住んでいたというの」
「魔王と五人の腹心に目をつけられて、異界の魔王と火竜王の神族に喧嘩を売った世界です」
「…………」
 言葉の意味をはかりかねた少女が沈黙する。普通の一般人の反応としては至極妥当なものだろう。
「これをリナさんのところに届けてほしいんです」
 アメリアがシルフィールに布に包まれた剣を渡した。
 うっすらと埃のつもった書棚の本を眺めて、不意に苦く笑う。
「わたしが行きたいんですけど、わたしは王宮を出られませんから。だからお願いするしかないんです。頼めませんか?」
「いえ、そんなことはありません。むしろ頼んでくれて嬉しいです」
 包みをしっかり抱えこんだシルフィールが、晴れやかに笑った。
 イルニーフェがフードをかぶり直した。
「話は終わり?」
「あなたもシルフィールさんと一緒に行ってください。剣の正体を教える約束のためだけに呼んだんじゃありません」
「どうしてあたしがそんなことをしなくちゃいけないの?」
「このあと、行くあてもないでしょう?」
 挑発したアメリアの言葉に、きらきらと漆黒の瞳が輝いた。
「そうよ、行くところなんかないわ。でも心配されるにはおよばない。あたしの行くあてがあろうがなかろうが、あなたには関係ないわ」
「世の中ギブアンドテイクなんだそうです。これは、剣の届け先のリナさんの言葉なんですけど」
 アメリアがぴっと指先を立てて、告げた。
「行く代わりに、うちに養子にきませんか? 継承権ついてきますけど」
「ア、アメリアさんッ !?」
 シルフィールが包みを取り落としそうになった。イルニーフェは絶句している。
「まあそれは冗談としても」
「本当に冗談なの?」
「まあ一応。だって幾ら何でもできるわけないじゃないですか。それでつまり、わたし、非常にあなたを高くかってるんです。あなたの能力、気質ともに正当に評価してるつもりなんですけど。あと三年も経てば、あなたも十五です。年齢なんか問題じゃなくなります」
「あなた、何考えてるの………」
 イルニーフェが呆然と呟いた。そうした表情は、年相応の子供に見える。
「あたしは、玉座を簒奪しようとしたのよ。それを阻んでおいて、どうしてまた近づけるの?」
「やり方がまずかったからです」
 そう言ったあと、我に返った表情でアメリアは額に手を当てた。
「やり方って………もう。なんか自分も王族って感じで、いまちょっとヤな気分です………」
 他の三人には何ともコメントしようがない。
「何と言えばいいのかわかりませんけど………とにかくわたし、あなたが気に入ったんです。そうとしか言えません。そして、多分あなたのほうがわたしなんかより良い王になるでしょう。できればあなたに玉座をあげたい。その方がわたしも楽ですし。でも、それはできるだけ波風の立たない方法でやるべきだと思いませんか?」
 考えこんでいたイルニーフェが顔をあげてアメリアを直視した。
「それは何? あたしの簒奪にこれからあなたが協力するということなの?」
「言い方を変えればそんな感じですかね」
「あなたそれでも王女なの !? 上に立つ者にはそれにともなった義務と責任があるでしょう !?」
 逆に簒奪を狙う少女のほうから怒られて、アメリアは笑い出した。たしかにアセルスが妹にしたがるだけのことはある。
 面白い、と言っては失礼にあたるだろうが、逸材なのは間違いなかった。
「わたしにそれが欠けているから、あなたが玉座を目指したんじゃないですか」
「違うわよ!」
 癇癪を起こしたようにイルニーフェが床を踏みならした。
「それが欠けているのは王に仕える大臣たちのほうよ! あなたはここではいちばんまともだわ! たしかにあたしよりは王に向いていないかもしれないけど!」
「あんまり暴れると貧血を起こしますよ。なくした血が多すぎましたから」
「余計なお世話よ」
 案の定、立ちくらみを起こして床にしゃがみこんだイルニーフェが、それでも減らず口をたたく。
「どこにも行くあてがないんなら、いっそわたしのところに来ませんかって言ってるだけなんですけど」
 アメリアはユズハを手招いた。とことこと近づいてきたその頭に手をおいて、ふわりと唇に笑みを刷く。
「簒奪うんぬんはいまは横に置いといて、あなたがセイルーンに対して訴えたことは正しいんです。わたしはそのお礼がしたいだけ。訴え出たことであなたが居場所をなくすのは嫌です。養子の件は今はともかく、わたしのところに、来ませんか? ユズハのように」
 しゃがみこんでいた少女は、不意に顔をあげると苦虫を噛み潰したような表情で答えた。
「御礼される筋合いはないわ。あたしはやりたくてやっただけ。セイルーンのためじゃなくて、自分のためにやったのよ………けれど、くれるっていうんならもらっておくわ。
 ―――それで? それと剣を届けるのと何の関係があるの?」
「一応、事の発端はあなたでしょう? 自分で始末をつけたいんじゃありませんか?」
 イルニーフェの目がまん丸くなった。次いで、思わず吹き出す。
 その後で、真剣な表情でアメリアを見つめた。
「どうして、あなたみたいな人がいたのに、姉さまは死んだのかしら」
 アメリアには答えられなかった。イルニーフェも答えを求めて言ったわけではなかった。
 あきらめたようにイルニーフェは溜め息をついた。
「わかったわ。いいわよ。あたしの身柄、とりあえずあなたに預けるわ」
 アメリアはうなずいた。
「ありがとうございます。イルニーフェさん」
「呼び捨てでけっこうよ、アメリア王女。ところで、これだけはひとつ言わせてもらうけど―――」
「何です?」
「あたしをそこのマイペースな尖り耳と一緒にしないでちょうだい」
 頭痛をこらえるような表情で少女が言うと、指摘された耳をぴこぴこ上下に動かして、指を差されたユズハがきょとんと首を傾げた。



「馬に乗れますか?」
 シルフィールの問いに、イルニーフェは罰が悪そうな表情で首をふった。
「馬は好きだけど乗れないわ。ごめんなさい」
「気にすることはありません。さすがにユズハちゃんとイルニーフェさん、一度に二人も一緒に相乗りはできませんからね。行けるところまでは馬車で行きましょう」
 その言葉にイルニーフェは顔をしかめて、その頭髪と同じ色のローブに身を包んだ少女を見おろした。その尖った耳を隠す目的でか、同色の帽子も一緒にかぶっている。
 なんでわざわざ旅をするにあたってローブに着替えるのか、理解に苦しむ。もっと動きやすい服装があるだろうに。
「なんだってこの子どもも一緒に連れていかなくちゃいけないのかしら」
 ユズハが無表情にイルニーフェに指をつきつけた。
「コドモ」
「あたしは少なくともあなたよりは年上よ」
 睨みあう二人をなだめるように、シルフィールが間に割ってはいる。
「ユズハちゃんは気配に聡いですから」
 それを言われるとイルニーフェも黙るしかない。あの執務室での一件で、ユズハが平凡なハーフエルフでないことはわかっている。
 あのとき、床が近づく視界の端で、この少女が自分を斬った刺客を一瞬で白い灰となさしめたのをとらえた。混沌の言語すら操ることなく。
 剣は賊に奪われたまま、というのがセイルーンの発表。正確には国璽など盗まれていないことになっているのだから、王宮中枢部はともかく表向きはイルニーフェが事を起こす前と何も変わっていない。
 モノが賢者の石である以上、手に入れた者はすぐに偽物と感づくだろう。そしてセイルーンにも剣が戻っていないことを怪しんで、血眼になって探すだろう。
 道中、危険をともなう可能性は充分にあった。ユズハを同伴させたのは、アメリアなりに旅程を心配してのことだろう。
 アメリアはシルフィールにまずは宝石を加工する工房に向かうように指示を出した。そこで柄の賢者の石を偽物とすり替え、剣はセイルーンに戻し、取り出した魔血玉だけをリナのもとに届ける―――
「宝石工房? まさか王室御用達じゃないでしょうね」
 行き先の指示を出されたとき、イルニーフェがうろんな表情でアメリアにそう問いただすと、セイルーンの第二王女はにっこり笑って答えた。
「違います。わたしの知り合いの方の工房です。あえて言うなら私個人の御用達ですけど」
 いたずらっぽく笑うその顔の横で、銀細工の耳飾りが微かに揺れて音をたてていた。
 曲線と花びらを描く繊細なかごのなかに、瑠璃の玉。公的な行事のときも外すことはないと伝え聞く、その瑠璃の飾り。
「そういえば、どうして剣をすり替えたりしたんです?」
 代わりにとばかりに、そう問うてきたアメリアに、イルニーフェは苦い表情で言った。
「あたしだって馬鹿じゃないもの。十二の子どもに素直に雇われる裏稼業の人間がいったい何人いると思ってるの。二重に雇われていることぐらい最初っから知っていたわ。奴らがあたしに言ったんだもの。国璽を盗ってくるときに、ついでに剣を盗ってきてほしい、自分たちはそれを報酬の一部とするってね。これで奴らが何か別の目的で動いていることに気づかなかったらただの馬鹿よ。だからさっさとすり替えておいたの」
「すり替えた剣はいったいどこから?」
「何人かの衛兵の人たちにスリーピングをかけて、ちょっと借りたり、城下に行ったときに、貯めていた給金で短剣を買ったりしたわ」
 アメリアが感心したように言った。
「本当に頭がよくまわりますねぇ」
「あたし、昔から近所でも賢いことで有名だったの」
 臆面もなくぬけぬけとイルニーフェが言うと、アメリアは笑ってうなずいた。
「期待していますから」
 それはこの旅にか、それとも彼女が約してくれた遠い未来でのことにか、それともその両方か。
 イルニーフェはそれを問う機会を逸した。
 この旅が終わったら、聞いてみようと思う。
 もうすでに残暑は駆け去り、葉が鮮やかな黄や紅に色づき始め、空は一段と高くなってその色を薄くしている。
 少し離れたところではシルフィールがセイルーンを出る乗合馬車に料金を支払っていた。一本の三つ編みにまとめた黒髪を揺らして、イルニーフェは空を見上げる。
「悪くないかもね………」
 アメリアを気に入り始めていることに、彼女は気がついていた。