翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔8〕
「―――それで、あたしはいつ死刑になるのかしら?」
意識が戻って開口一番、少女が発したセリフはそれだった。
つくづく可愛げのない子供である。
アメリアとシルフィール、そしてアセルスは互いに顔を見合わせる。ユズハだけが首を傾げていた。
人払いされていて、他の魔法医の姿はない。そもそも王宮専用の神殿の治療所はずっと寝ていられるほど広くない。容態が落ち着いたら王宮内の客室に移すのが普通だった。
「どうしてそう思うんです?」
アメリアの問いに、イルニーフェはまだ血の気の戻らない顔のままアメリアを睨みつけた。
「馬鹿にしないで。どんな国だって反逆罪は死刑よ。あたしはわかってて国璽を盗ったんだから」
「命が惜しくなかったんですか?」
「惜しかったわよ」
イルニーフェは言った。言った後で、わずかに顔を歪める。
「惜しかったけど、惜しくなかった。姉さまはもうどこにもいないもの。あたしは国とあたしが赦せなかっただけ。それにあたしなら、王になれると思ったから。あたしは自分が王に値すると思ったからやったのよ」
くすくすと笑う声にイルニーフェが視線を巡らせると、アセルスが笑いをこらえきれずに小さく肩を揺らしていた。
「やっぱりいいなぁ。ますます気に入った」
「あなたは死刑にはなりません」
シルフィールがそう言うと、イルニーフェは眉をつり上げた。
「馬鹿にしないでってば。どうしてそんなことがありえるの。あたしは国に刃を向けたのよ。いつのまに法が改正されたっていうのかしら」
シルフィールが控えめに微笑んだ。
「あなたは、国璽を護ってアメリア王女を庇った女官の鏡―――ということになっています」
イルニーフェは沈黙した。
与えられた情報が真実にたどり着いたとき、少女は思わず起きあがろうとして体に力をこめる。
「ふざけないで! どうして罪人を庇うのよ !? あたしが子どもだから !?」
「騒がないで。傷に障ります」
「ちゃんと説明しなさいよ!」
アメリアは困ったようにイルニーフェを見降ろした。そのアメリアの顔も貧血気味でいささか頬が青白い。
「あなたを罰する理由が見つからなかったからです」
「どこが? あなたちゃんと目と耳はついてるでしょう? あの場にいてあなた何を見聞きしていたの?」
「だって事実セイルーンの怠慢ですから。過激な直訴に来られてもしかたないじゃないですか」
アメリアは静かな口調で続けた。
「それに、あなたを死なせたくなかったんです」
イルニーフェが怒鳴り声を発する前に、ベッドによじ登ったユズハがその口をぺたんと塞ぐ。
「あのまま王になってたら、あなた間違いなく死んでましたよ」
「?」
イルニーフェが怪訝な顔をする。
アメリアはユズハの手を持ち上げて、少女の口を解放してやった。
同じセリフを再び繰り返す。
「独りじゃ何もできないんですよ。この世界は」
この王宮という権力機構の檻のなかでは。
口を開きかけたイルニーフェはアメリアの表情を見て、言葉をなくす。
「あなたはきっと、王宮にいることを嫌がってるわたしなんかよりもずっと良い国王になるでしょう。だから謀殺されるのは嫌だったんです。侮られて殺されるなんて絶対に嫌だと思ったんです。惜しいと思ったんです。それが理由です」
「どうして王になったら殺されるのよ」
アメリアとアセルスが苦笑する。
どう足掻いても、人は年齢のくびきからは逃れられない。
まだこの少女は幼い。どれほど賢くて、どれほど希有な存在であっても。
「色々騒がしい国だって知ってるでしょう? 重臣たちが十二の少女の言うことに従うはずがありません。あなたはそれを見越して、わざわざ彼らを集めて、その前で譲位宣言書に署名させようとしたんでしょうけど、きっと、あなたはすぐに謀殺されて、傀儡の王がこのセイルーンに立ったでしょう。哀しいことですけど、ここはそういうところです」
そういうところではないようにする努力はいま自分がしているところだ。
アメリアは肩をすくめてイルニーフェの黒い瞳を覗きこんだ。
「それにあなた、わたしの知ってる人に目がそっくりなんです。簡単に言っちゃえば、ここにいるみんな、あなたのことが気に入ったんですよ。誰だって自分が好意を持った人を死なせたくありません。ただ、それだけです。まだ理由が要りますか? なんならもっとひねり出しますけど」
イルニーフェはしばらくの間、無言だった。
ぽつん、と言葉が落とされる。
「………出ていって」
「イルニーフェさん」
「いますぐここから出ていって」
自由にならない腕で布団を引き上げると、イルニーフェは頭からそれをかぶった。
「出ていってよ!」
シルフィールが軽く溜め息をついて、真っ先にその言葉に従った。
アセルス、ユズハと続いて、最後にアメリアが出ていこうとしたとき、布団の中からくぐもったイルニーフェの声がした。
「………あなたの寝室のベッドの下に剣が隠してあるわ。やつらが持っていったのはすり替えられた偽物よ」
アメリアはベッドの方をふり返った。
「………ありがとうございます」
足音が遠ざかっていくのを聞きながら、イルニーフェは声を殺して泣き出した。
アセルスやシルフィールと別れ、ユズハと自室に戻ったアメリアはドアに鍵をかけ、さっそく自分のベッドの下を覗きこんだ。
夜が明けようとしているが、王宮が眠りにつく気配はない。しばらく騒がしい日が続くだろう。
旅の強行軍でたまった疲労と腕の傷の失血に、半ば吐き気すら覚えながら、アメリアはベッドの下の布包みを引っぱり出した。
さっさと確認してから寝るつもりだった。いくらなんでも限界だ。
ユズハが好奇心に満ちた表情でアメリアの手元を覗きこんだ。
布の中から現れたのは四ふりの剣。短剣。小剣。普通の剣。そして刀身の細いレイピア。
どれも柄には目録の記述通り、赤い宝玉が留められている。奇妙なことに、それぞれの剣の大きさに関係なく宝玉の大きさはどれも一緒だった。
ユズハが後ずさる。
「ユズハ?」
「これ、ぎゅってしてあル」
「ぎゅ?」
アメリアは首を傾げて剣を眺めたが、特にかわったところは見つからない。
再び布で包み直そうとしたそのとき、アメリアの手は不意に止まった。
「これ、まさか………」
アメリアの顔色は変わっていた。
「ユズハ」
アメリアの声に、ベッドの上に座りこんだユズハが顔をあげた。
彼女に関して重臣たちには、炎を操れるのはハーフエルフゆえの特殊能力だとか何とか、向こうの無知を良いことに訳の分からない理屈を強引に押し通してしまった。
どっちにしろ火炎球からあの場にいたものを救ったのはユズハの一言だから、強い反論がでるはずもない。
「何、りあ」
「ごめんなさい。おみやげ忘れました」
神妙な顔で謝るアメリアに、ユズハがむう、と唸った。
「代わりに、外に行きませんか?」
「そと?」
「ずっと王宮からでていないでしょう? 外に行ってきませんか?」
アメリアは包み直した剣を再びベッドの下に押しこむと、そのすぐ脇に立った。ベッドの上で立ち上がったユズハの視線が、かろうじてアメリアと同じ高さになる。
炎の色をした瞳を覗きこんで、アメリアは言った。
「いいえ、そうじゃないですね。わたしがユズハに行ってきてほしいんです。お願いを聞いてくれませんか?」
「ン、わかった。聞く。ナニ?」
「そう簡単に即答するもんじゃありませんよ」
苦笑して、アメリアはベッドに腰掛けるとユズハに後ろを向かせて座らせた。
その伸びたフリを装っているクリームブロンドをくくってやりながら、王宮と連絡がつかなかった間の様子を訪ねる。
「何してたんですか?」
「普通にしてタ。ずっと、書庫で、本読んでタ」
「外出禁止令に疑問くらいもってください」
「だって、りあ、おとなしくしててっテ、言っタ」
「………むぅ」
「マネっこ」
冷静な指摘に、こらえきれずアメリアは吹き出した。
しばらく笑い転げてから、涙を拭って座り直し、クリームブロンドをくくり直す。
長さの足りない横の髪がさらさらと落ちていった。
「また伸びてきちゃいましたね」
アメリアは微かに微笑んで、告げた。
「ユズハに届けものをしてほしいんです」
「じゃ、私は帰るから」
そう言いながらアセルスが、イルニーフェに割り当てられた客室に顔を出した。
部屋の中にいたアメリアが驚いてふり返る。ユズハも驚いたかどうかはわからないが、とにかくふり向いた。
仏頂面で二人に応対していたイルニーフェも、アセルスのほうを見た。
あの夜から数日が経過して、王宮内もどうにか落ち着きを取り戻しつつある。マラードに留め置かれていた文官たちもセイルーンへの帰路についた。あと二、三日もすれば帰ってくるだろう。
そんななかでのアセルスの帰国宣言だった。
「リーデがさっさと帰ってきて顛末を報告しろってうるさいから。もう、私がいなくても平気でしょう?」
「ええ、まあ―――」
アメリアはイタズラっぽく片眉をあげてアセルスを見た。
「理由はそれだけじゃあないですよね?」
「まあね」
アセルスは苦笑した。
滞在中、アセルスはセイルーン王宮内ということを考慮して、男装に変わりはなくともきちんとした礼服を身につけていたのだが、そうしたら王宮内の女官や侍女たちの間で、ちょっとした騒ぎになったのである。
侍女や女官というものは、スラリとした青年貴族も、男装の麗人のどちらも得てして大好きなものだ。
「おもしろいよねぇ。三十に足突っこんじゃった、男の恰好した女の人のどこがカッコいいんだと思う?」
しみじみ呟かれて、アメリアは困ったように首を傾げた。
「だって、普通にカッコいいですよ。とてもそんな歳には見えませんし」
「わからないなぁ。それに何気に動きづらいんだよね、きちんとした男装って」
「それはそうですよ。男性でも女性でも、きちんとした恰好で体術使う人がいるわけないじゃないですか」
アセルスは唇の端を持ち上げて妹弟子を見た。
「でもいざとなったら、どんな恰好でも蹴っ飛ばすでしょう?」
「ええ、それはもちろん。たとえドレスでも」
「……………………あなたたちって変な王族よ」
ぼそっとイルニーフェが呟いた。
アセルスは仏頂面のイルニーフェを見て、軽く笑った。
「よければまた会いましょう。私、あなたのことを気に入っているんだ。ものすごく」
「あたしは特に会いたくないわ」
とりつくしまもなくイルニーフェが言うと、アセルスはさらに笑った。
「それは残念。ねえ、あなたは玉座がほしいの?」
十二の少女は、ますます苦い顔になった。
「別に玉座がほしいんじゃないわ。目的の結果、たまたまほしかったのが国王の座だっただけよ。通過点だわ。最終目的じゃない」
「なるほどね」
アセルスの琥珀の目が不意にイタズラっぽい光を宿した。
「ところで、うちの弟の嫁にでもこない? ちなみに私とほぼ同じ顔で、一応、第一公位継承者なんだけど」
イルニーフェが目をむいた。
「アセルス姉さん、いったい何言い出すんです」
呆れてアメリアが言うと、アセルスはけらけら笑いだした。
「だってイルニーフェみたいな子、妹にほしいよ。かなり本気で―――まあ、それはそれとして、それじゃあ、またね」
「そのうち遊びに来てくださいね。体なまってるんで、手合わせしてください」
「今度は足の骨?」
「勘弁してくださいよう」
笑いながら、アセルスは手をふって部屋から出ていった。
それを見送って、アメリアはイルニーフェに向き直った。
「それで、どうしてわたしを呼びだしたんです?」
「聞きたいことがあったからよ」
アセルスのタチの悪い冗談から立ち直ると、イルニーフェは表情を険しくした。
「どうして剣は賊に盗まれたままという公式発表になってるのよ。あたしはあなたに剣の隠し場所を教えたはずよ」
「だれもあの剣の真価を知らないからです。あれを狙った犯人以外、だれも―――」
「あなたは知ってるという口調ね」
「ええ。知っています。だから国庫に戻すわけにはいきません」
「どういうこと?」
それには答えず、アメリアは別のことを口にした。
「明日、あなたをシルフィールさんのお家のほうに預かってもらいますから。表向きは罪に問われないとはいえ、大臣たちは仏頂面ですし。まあ口も手も出させませんけど」
「質問に答えてないわ!」
「早く体を治してください」
アメリアはにっこり笑って答えをはぐらかした。
「そのときに、教えますから」
それから十日。イルニーフェの体調が回復するのを待って、アメリアはシルフィールとイルニーフェの二人を呼び出した。
表向きはシルフィールがアメリアを訊ねてきたことになっている。
それはよくあることで、だれも何の疑問も抱かなかった。わずかに首を傾げた者もいたが、それは彼女の他にもう一人、小柄な人物が一緒だったからだ。
「はい、アメリアさん」
部屋に通されたシルフィールがさっそく預かっていた手紙をアメリアに渡す。
「ありがとうございます」
アメリアの表情が華のように綻ぶのを見た少女―――イルニーフェがしばし無言で目を見張った。
手紙を机の引き出しに丁寧にしまうと、アメリアはテーブルへは戻らず、私室のさらに奥のドアへと二人を手招いた。
戸惑った二人の表情をよそに、書斎を抜けるとさらにその奥の小さな書庫へとアメリアは歩いていく。
「埃っぽいわ」
書庫に案内された途端に、イルニーフェが鼻の頭にしわを寄せた。
「ごめんなさい。あまり掃除してないんです」
アメリアが笑って謝った。
「ユズハ。人は?」
「いナイ」
換気用の窓から外を見おろしていたユズハが、カーテンを閉めて戻ってきた。
「アメリアさん?」
シルフィールの呼びかけにアメリアは苦笑した。
「ごめんなさい。ちょっとだけ秘密のお話がしたくて。ここの入り口はわたしの書斎のドアだけですから」
イルニーフェが人目を避ける目的でかぶっていたフードを後ろに落とした。相変わらずきっちりまとめられた黒髪に、きつい黒の瞳。
「どうしてあたしが呼ばれるの、なんて愚問はしないわ。あの剣は何?」
アメリアは書棚の奥から白い布包みを取り出した。
包みを抱えて、アメリアは二人に相対する。
濃紺の瞳が薄暗い書庫のなか、暗いかげりを帯びて二人を見つめた。
「あなたたちにお願いがあります。この剣をあるところに届けてほしいんです」
アメリアの持つ雰囲気に一瞬気圧されたイルニーフェが反撃に転じた。もともと頭を抑えつけられることが彼女は大嫌いだった。
「あたしの質問に答える方が先よ。あたし、自慢じゃないけど気はあまり長い方じゃないの。どうして国庫に戻せないの。どうして持ち出す必要があるの。この剣はいったい何だから、どうしてそういうことになるの」
「庫に戻しても、また賊が入るだけです。持ち出すのは、これを必要としている人がいるから。その人なら、きちんとこれを管理してくれるからです」
不意にアメリアの瞳が光を放った。
「こう言い直すこともできます。これをセイルーンに置いておくにはあまりに危険すぎるんです」
「だから、この剣は何なの !?」
イルニーフェがいらいらした口調で叫んだ。
アメリアが布包みをとく。全部はほどかず柄部分のみをむき出しにすると、そこに留められた赤い宝玉を二人に見せた。
ちょうど、親指と人差し指で作った丸ほどの大きさ。柄飾りにしてはいささか大きすぎるそれを見せて、アメリアはシルフィールを呼んだ。
「見覚えありませんか、シルフィールさん」
問われて、シルフィールは面食らった。
しばらくその赤い玉を見つめて考えこむ。突然、幾つかの光景がシルフィールの脳裏に閃くようによみがえり、彼女はわずかに目を見張った。
「そんな………だってまさか」
「おそらくは、そうです」
アメリアは小さくうなずいた。
ないがしろにされて怒りに頬を紅潮させているイルニーフェに向き直り、アメリアは静かに告げた。
「剣はただの剣です。問題は柄の玉。あなたも名前くらいは知っていると思います。
―――これが、賢者の石です」