翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔11〕

 四ふりの剣に、偽の宝玉を取りつけるのに全部で五日を要した。
 グードの技術や仕事の速さはともかく、不透明な深い赤をしている魔血玉に変わる石を見つけるのが大変だったのだ。
「これ何の石です?」
 五日後、できあがった剣の柄飾りを見てシルフィールが首を傾げる。イルニーフェも首を傾げた。
「赤珊瑚のいちばん濃いやつじゃないかしら。死ぬほど高級品」
「正解じゃ」
 シルフィールがまじまじと柄の宝玉を見つめた。
「思い切ったことをなさいますね………」
「他に似たのがなかったんじゃらから仕方あるまい。ブラッドストーンではすぐにばれる。幸いアメリア姫様の代金持ちじゃしな」
 グードが高く晴れた空を見上げて、顔をしかめた。
「急ぎに急いだつもりじゃが、五日もかかってしもうた。早く行くがよかろう」
「あたしにとっては、切り出し・研磨・細工が五日で済むことのほうが、よっぽど驚きよ。魔法でも使ったの?」
「なに、単に馬鹿息子をこきつかっただけじゃよ」
 布の包みを抱えたシルフィールが深々と一礼した。
「ありがとうございます」
「アメリア嬢ちゃんと、白い服の兄さんによろしくな」
「………本当にお知り合いのようですね」
 シルフィールが呆気にとられている間に、そのマントの裾をつかんだユズハが鷹揚にうなずいた。
「ン、まかされタ」
「………この馬鹿エルフは、どーしてこうも偉そうなのかしら?」
「えるふ、じゃないモン」
「はいはい。半分は人間だったわね」
 違ウ、と言いかけたユズハの口を慌ててシルフィールが塞いだ。
「本当にありがとうございます。
 ―――行きましょう。お二人とも」
 見送るグードに一礼をしてから、三人は村を後にした。
「この後は、どこに向かうの」
「セイルーンにいったん戻るわけにもいきませんから、このままリナさんたちのところまで行きます。やっぱり十日ほどかかります」
 ここら一帯を治めるロードのいる街への街道を歩きながら、シルフィールが答える。主街道からはずれたところにある村のため、ゼフィーリア方面に行くには、いったん来た道を戻ってロードの街へ出なければならないのだ。
 空は明るく晴れ渡っているが、細い街道にはシルフィールたちのほか通る人影はない。
「もう半月も経っちゃったわね。セイルーンに帰るにはたっぷりあとひと月はかかる計算だわ」
 嘆息混じりにイルニーフェが言うと、シルフィールが笑った。
「早く帰りたいんですか?」
 イルニーフェが首を傾げる。
「どうかしら。帰ってもあたしの立場は宙ぶらりんだもの。特にすることなんかないわ」
「なら、見つければいいですよ」
 隣りを歩くシルフィールの言葉に、え、と彼女を見上げると、シルフィールはにっこりと笑い返してきた。
「ひと月も考えれば、したいことぐらい考えつきますよ」
 その後に続く言葉は厳しかった。
「自分の拠って立つところがないからって、それが行動や思考を妨げる要因になんかなりえません」
 イルニーフェは顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。自分の言動を恥じているらしい。
「そういえば、呪文はどれぐらい使えますか?」
 シルフィールが話の方向を逸らした。
「スリーピングが使える程度には使えるわ。でも黒魔術は得意じゃない」
 眠りの呪文は自ら開発しない限りは、だれもそれを教えることのない呪文だから、これが使えるということは魔道の基礎をひと通り以上は理解しているということだ。
「攻撃呪文は使えます? わたくしあまり得意じゃないんです」
風牙斬ブラム・ファングとか爆煙舞バースト・ロンドくらいなら」
 イルニーフェが顔をしかめる。
「悪いけど、あまりあてにしないでくれる? 魔道士協会に通っていたのは母さんが殺されるまでの間だから。それにこっちにはこの尖り耳がいるでしょう? そのために連れてきたんじゃないの?」
「あんまりユズハちゃんをあてにするわけにはいきませんし………」
「ところで、ひとついいかしら」
「何です?」
「『リナさんたち』ってのはどういうこと?」
 あら、とシルフィールが首を傾げて、次いでくすくす笑い出した。
「言ってませんでしたか? リナさんには旦那さまと娘さんがいらっしゃるんです」
「結婚してるの !?」
「あら、本当に言い忘れていたみたいですね」
 みたいですね、じゃないわ、とイルニーフェは思ったが賢明にも口には出さなかった。
 さらに詳しく訊こうとしたとき、不意にユズハが立ち止まった。
「ユズハちゃん?」
 朱橙の瞳が硝子玉のような艶と酷薄さを帯びる。
 唇からひとこと言葉が滑り出た。
「―――来タ」



「………もうバレちゃったみたいね」
 イルニーフェが、服の上から魔血玉の入った革袋をつかんだ。
「どこから来ます?」
 シルフィールの問いに、ユズハは正面を指差した。
「あっち」
「わたくしたちはもう見つかってますか?」
「まだ」
 シルフィールがイルニーフェをふりかえった。
「街道を逸れて森の中に入りましょう」
「向こうも同じことを考えないかしら」
「街道をこのまま歩くよりはマシです」
「それもそうね………。それとも飛ぶとか潜るとか」
 森の中の下生えを踏みわけながらイルニーフェが提案すると、ユズハの手をひいたシルフィールは首を傾げた。
翔封界レイ・ウイングは使えますか?」
「翔封界?」
 聞いたことのない魔法にイルニーフェが目をまたたいた。なかなかマニアックな呪文なので無理もない。
 イルニーフェの表情を見て、シルフィールは首を横にふった。
「いま飛んだらとても目立つと思います」
「そうね」
 もともと具体的な提案として言ったわけでではない。却下されても特に気にはならなかった。
「いったいどこからバレたのかしら………」
 イルニーフェは首を傾げたが、考えても出てくる答えではない。
 ユズハが超然とした態度で周囲を見まわす。
「こっち」
 ざかざか先に進んでいくその小さな背中を追いながら、彼女はアメリアがユズハを同行させたわけを身を以て知った。たしかにこの勘の良さ(といっていいのかは謎だが)は貴重だ。
 日が傾き、西日が朱く射しこんでもなお森の中を踏み分けていたとき、不意にユズハが顔をあげた。
「ダメ、気づいタ!」
 相手が馬だとしたら、村まで行ってイルニーフェたちの出立を確認してから街道周辺を探索するのに充分な時間が経っている。
「どうするの?」
 比較的冷静にイルニーフェが、シルフィールの指示を仰ぐ。
 西日が照り返して不思議な色になっている黒髪を揺らして、首を傾げていたシルフィールはすぐにうなずいた。
 イルニーフェを抱き寄せると、抱きしめる。
「なッ―――!?」
「ユズハちゃん」
 至極冷静にシルフィールは訊ねた。
「ついてこれますね?」
「平気。ダメなら火にナル」
「そのときは真っ直ぐ私たちの後を追ってきてはダメですよ。居場所がばれますから。もしはぐれたら、そのまま街に行ってくださいね」
「ン、わかっタ。しる、探ス」
「火に、なる………?」
 イルニーフェがその言葉の真意を問いただすまもなく、体が宙に浮いた。浮遊とは比較にならないほどの高速で、周囲の風景が流れていく。
 やや呆然としながらも、イルニーフェは訊ねた。
「これが翔封界?」
 無言でシルフィールがうなずく。
 あとで教えてもらわないと。
 イルニーフェは唇を噛んだ。いちばん足手まといになっているのはユズハではなく自分だ。
 身を捻るようにして後ろをふり返って、イルニーフェは愕然とした。
「何よ、あれ !?」
「たぶんユズハちゃんです。でなければ火炎球」
 後ろも見ずにシルフィールが断言した。
 あまりのことに絶句していると、さらにそこに追い打ちがかかる。
「ユズハちゃんはハーフエルフじゃありません。半分は炎の精霊です」
「…………」
 あまりに一般的な驚愕を表現するのはしゃくに障ったのか、しばらくの沈黙の後、イルニーフェが声をあげた。
「いったいあなたたちどういう世界の人間なのよっ !?」
 風の結界のなか、シルフィールはあっさりと答えてくれた。
「間違えちゃだめですよ。あなたもその世界の住人なんですから」
「…………」
 なんだかイルニーフェはアメリアに自分の身柄を預けてよかったのか、本気でわからなくなってきた。