翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔13〕
その夜、執務を終えて自室に戻ってきたアメリアは、ベッドの上にこんもりと山になっている薄片を見つけて、思わず顔をほころばせた。
「ありがとうございます。オルハ」
礼を言われた白ネコは特に表情を変えることなく部屋の隅まで歩いていくと、ぺし、と餌用の小皿に前足をかけた。
「………だんだんユズハに似てきてませんか?」
まあ、ネコに餌以外の要求をされたら怖いかもしれないが。
人外の者―――つまりユズハにまとわりつかれているせいか、この獣は魔力の気配に敏感になっている。いまベッドの上に積もっているものも、最初の一枚をどこからか勝手にくわえて持ってきたのが発端だ。
「はいはい、ご褒美は明日もらってきてあげますから」
オルハを抱き上げてその肉球をふにふにすると、ネコは嫌がって腕の中で暴れて床に降りてしまった。
それでもめげずにアメリアが肉球をふにふにしていると、あきらめたのかベッドにびろーんと寝転がる。
ネコが丸まって寝るなんて大嘘だ、とアメリアは実感した。
「なんかモロに鬼の居ぬ間に命の洗濯って感じですね、オルハ………」
そのユズハと同じ色の瞳で見返されて、アメリアは不意に思いついて首を傾げた。
「そういえば、オルハ。お嫁さんはいないんですか?」
もちろんネコに話しかけてもロクな返事は返ってこない。しばらくすると、オルハはアメリアのことなどどこ吹く風で寝入ってしまった。
眠った白ネコを放置して、アメリアはベッドの上の薄片をテーブルの上に移動させた。
オルハが王宮の各所から発見してきた薄片―――盗聴器もどきのレグルス盤を前に、アメリアは意地悪く笑った。
もしかしたら、他国の諜者や、上官が部下を管理するために仕掛けたものや、その他もろもろセイルーンに必要なものも混じっているかもしれないが、そんなことはどうでも良かった。
全部、袋に押しこんで、テーブルの上に放り出す。
そうして、アメリアは一枚のレグルス盤をつまみあげた。
オルハが捕らえたネズミよろしく持ってきた最初の一枚。リーデットとの会話を聞かれた一枚だ。
リーデットは極秘にユズハたちの後を追いかけたから、まだこのレグルス盤は現役使用されているはずである。
「どうしましょう。歌を唄うってのもいいし、ヒロイックサーガを延々聞かせるのもいいですね。何か音のでるオモチャがあればいいんですけどねぇ。ここんところストレス溜まりまくりなんです。やっぱ歌ですかね」
聞いている向こうには何のことだかわかるまい。歌が聞こえてきても、まさかわざと歌われているとは思わないだろう。
嫌がらせができる程度には、アメリアは暇だった。
ユズハの感覚を頼りに無事シルフィールとも合流を果たした三人は、リーデットの提案でとんでもないところにいた。
思いっきり冷ややかな視線でイルニーフェがマラード公国の跡継ぎを見やる。
「………たしかに絶対安全と言えば安全よね」
「だろう?」
「ええ、いくらなんでも手のだしようがないわ。こんなところにいるとは思ってもいないでしょうしね」
傍らのシルフィールの笑顔がどことなく引きつっている。
「いいのかしら? こんなことをして」
イルニーフェの問いに、リーデットはぺらんと羊皮紙を広げて見せた。例によってアメリアが署名をした『正式な書類』である。
「アメリア、今回はとことん公私混同する気でいるらしいよ」
「…………」
イルニーフェは思いっきり厭そうな顔をして、それから叫んだ。
「ロードっていう人種は大っ嫌いなのよ !!」
「ま、好き嫌いも時と場合によるよね」
リーデットにさらりと受け流されて、イルニーフェが顔を真っ赤にする。
慌ててシルフィールが割ってはいった。
「でもリーデット殿下。いつまでもここにいるわけにはいきません。早くここを発ちたいんですけれど」
「そうよ。さっさと出ていきたいわ」
イルニーフェもその言葉に重なるようにそう言った。
リーデットが肩をすくめる。
「そんなに悪い提案をしたかな、僕」
「国宝を横流しする途中でロードの城の賓客になる人間がどこにいるのよッッ !!」
大絶叫、であった。
つまりはそういうことだった。
「じゃ、出ていこうか。明日にでも」
リーデットはそう言って急に真面目な顔つきになった。
「そのことなんだけど、二手に分かれたほうがいいと思うんだ」
「どういうこと?」
「つまり、剣を持ったセイルーン帰還組と、予定通り石を届ける組に。もともと、石だけ届けて剣は持ち帰るつもりだったんだろう? 向こうは『剣』を狙っているんだ。黒幕はともかく、雇われている奴らはそう言いつかってるだろうし。いい目くらましになると思わないかい?」
「分かれるメリットは?」
少女が短く問い返した。
その彼女を見ておもしろそうに笑うと、リーデットはテーブルに頬杖をついた。
「相手は剣に石がついてると思っているんだから、剣を先にセイルーンに戻せば、相手の注意はそっちに集中するだろう? アメリア王女が王宮から剣を出したことは向こうは僕との会話を盗聴して知っている。なぜか、いったん手放した剣をアメリア王女は手元に戻した。相手はどう思うだろうね」
イルニーフェは沈黙した。
しばらく経ってから、ようやく聞き返す。
「………それは、アメリア王女の提案なのかしら?」
「いや。僕がいま考えたんだけど」
「…………とんだ幼なじみもいたものね」
イルニーフェが低く呻いて、残りの二人に向き直った。
「どうするの? リーデットの提案を呑む?」
「イルニーフェさんはどう思います?」
「悪くないとは思うわ。とんでもなく極悪な提案だけど」
「どうしテ?」
ユズハの無邪気な問いに、イルニーフェは眉間にしわを寄せて応えた。
「セイルーンを囮にしようっていうんだもの」
その言葉にもリーデットは動じる様子を見せない。
「その方がアメリアも助かると思うしね。向こうの方は捜査が手詰まりなんだ。盗聴器として仕掛けられていたレグルス盤の音を逆にこちらから拾ってはいるけど、剣が戻ってきたほうがより何らかの反応を期待できるだろうから」
「………とんでもない食わせ者ね、あなた」
リーデットが首を傾げる。
「それは誉め言葉として受け取ってもいいのかい?」
「勝手にしてちょうだい」
冷たくそう答えると、イルニーフェは話をまとめはじめた。
「ならさっさと組分けしましょ。ここからだと、セイルーンもリナ=インバースのところもどっちも十日ぐらいかかるわ。向こうがまだ剣の方を狙っていて、セイルーンも剣が戻ってきたリアクションを期待しているのなら、セイルーンに戻る組の方を急がせたほうがいいんじゃないかしら。リーデットが持っている書状を使えば、街ごとで馬を変えられるでしょう? そういうわけで、馬に乗れないあたしは自動的に石を届ける方になるわ。剣を持つほうが危険を予想される以上、あたしがいたら足手まといになるだろうし」
「なら、ゆずはは、帰ル」
帽子をもてあそびながらユズハがそう言った。関係者しかいないので、いまは露出している尖った耳が、ときおりぴこぴこ上下している。
「ゆずは、いタほうが、便利」
「一応、何も考えてないわけじゃなさそうね………」
なかば呆れたようにイルニーフェが隣りの椅子に座っている精霊の少女を見た。
「だそうだけれど、あなたたちはどうするの?」
話をふられて、年長組は顔を見合わせた。年少組に話を仕切られているのは何とも情けない話である。
「ええと、僕の希望を言ってもいいかな」
「何です?」
「リナ=インバースに逢ってみたいんだけれど」
「わかりました。なら、わたくしがセイルーンに帰ります」
リーデットがイルニーフェをふり返った。
「そういうわけで、道中お手柔らかに頼むよ」
「言っておくけれど、結婚はしないわよ」
イルニーフェの返事にリーデットは爆笑した。
「―――というわけで、これから帰ります」
その翌日、シルフィールからの帰還報告を隔幻話で受け取って、アメリアは軽い頭痛を覚えた。
「リーデはもう………」
確かに王宮の捜査は手詰まりだが、ミもフタないとはこのことだ。
隔幻話の向こうにいるシルフィールをアメリアは見つめ返した。
「わかりました。道中、充分気をつけてくださいね。ユズハ、手加減しなくていいですからね」
「ン、わかっタ」
物騒な会話をして、アメリアは隔幻話を打ち切り、同時に風の結界も解除した。風の結界をはっておけば結界の内と外との空気の流れが遮断され、音が伝わらなくなる。リナから習った盗聴防止の面白い応用の仕方だった。
「んー。そろそろ手紙も着く頃ですね」
アメリアは人差し指を顎にあてて、可愛らしく首を傾げた。
ここから二、三日、北に歩けばゼフィーリアで西に歩けばセイルーンというような、ぎりぎりエルメキア領内の森の一軒家をセイルーンの急使が訪れていた。
どうしてこんな辺鄙なところに住んでいるのかというと、実家のあるゼフィーリアに直接住むのもイヤで、街中だと魔道の研究がおおっぴらにできなくて、でも比較的大きな魔道士協会は近くに欲しいというワガママ極まりない条件の折衷案がここなのだという。
急使が訪れたとき、そのワガママな手紙の宛名に書かれた人物は家で魔道書を読んでいたところだった。
用向きを告げると、手紙の宛先主―――リナ=インバースは軽い困惑の表情を示した。
「アメリアから急ぎで?」
私的な手紙のやり取りはしているし、急用は近くの街のメッセージセンターを使う。
セイルーンから公的な急使が遣わされてきたのは初めてだった。
急使の手から受け取った書簡に目を通して、リナはわずかに眉を動かした。
「ふぅん、ちょっとここで待っててくれる?」
そう言ってリナは、使者を残して奥の部屋へ入ると鍵をかける。肩から落ちかかる栗色の髪を背中に流して、椅子をひいて腰掛けた。
書簡の縁を指でなぞって、くすりと笑みを洩らす。
「よかった。いまどき焙りだしとかで書かれてたらどうしようかと思ったわよ―――浄結水」
一気に手紙が水をかぶる。
水浸しになった羊皮紙は元のインクがだらだらと流れ落ち、何やら異様な有様になったが、その奥から染色の魔法をアレンジした蛍光の文字が浮かび上がってきた。
これが本当の用向き。手紙の『裏』だ。
テーブルに滴った黒い水に顔をしかめて、リナは呟いた。
「それにしてもあの子、落書きの魔法何パターン開発したのかしら………」
リナが知っているだけでも焙りだし編、水出し編、キーワード編、そしてさらに迷宮目印編が存在する。
水浸しの手紙を読み出したリナの顔に、徐々に驚愕が広がっていった。
しばらくして部屋から出てきたリナは、急使に相対するとにっこり笑った。
「口頭で失礼するわ。『水の一件、確かに承りました』とでも伝えておいて。ごくろうさま」
使者を追い返した後、
「………何やってるんだ、リナ」
「かーさん、なにしてるの?」
しきりに何かを探しているらしいリナの様子に、家族二人が揃って問いかける。
娘の声にぽん、とリナは手をうった。
「ああ、そうだった。ひとつはあんたの首にひっかけてたんだっけ」
リナの手がその細い首から革ひもを取り外しす。
「リナ?」
革ひもを指にひっかけてくるくる回すと、リナはその先に結ばれている灰色の台座をぱしりと手でつかんで笑った。いまは単なる宝石の護符をはめこんだ魔血玉の台座を。
「持つべきものは、多大なるコネを持つ友人よね―――ちょっと迎えに行ってくるわ」
リーデットはふり返ると、後ろをついてくるイルニーフェに訪ねた。
「ちょっと休むかい?」
「別にいいわ」
素っ気ない言葉にちょっとだけ笑うと、リーデットは首を傾げた。
「無理はしない方がいいよ。聞けば、ばっさり斬られて血塗れになったばっかりだっていうし」
「………もうちょっと言葉を選べないのかしら」
「それはごめん」
全然すなまさそうに謝られて、イルニーフェは思わず頭痛を覚えた。
アセルスといい、あのユズハといい、どうしてあの王女の周りはこんな得体の知れない人物ばっかりなのだろう。唯一の例外はシルフィールだが、それは表面上だけで、彼女も同類な気がする。
ロードの城を出てから三日が過ぎていた。
シルフィールやユズハたちとは一日時間差をおき、街を出るときにも充分注意を払ったおかげか、いまのところは何も起きていない。
乗合馬車や、行き合った荷馬車に同道を頼むこともあるが、基本的には徒歩の旅だった。
よってさっきのリーデットのセリフになるのだが、どうも子ども扱いされているようで気分が悪い。子どもなのは事実なのだが。
どう説明していいのかわからないのだが、リーデットのイルニーフェの扱いには子どものそれと女性に対してのそれが綺麗に混ざっているような気がする。
これで無意識にやっているのだとしたら、恐ろしいことである。こんなふうで、どうしていままで恋人がいないのだろう。姉姫が嫁探しをするほど、結婚話に困っているようにはどうしても見えない。もしかしてアメリア王女のことが好きなのだろうか。
自分への扱いの不満についてを考えていたのに、いつのまにかとんでもない方向にイルニーフェの思考は飛躍していた。あまりにもリーデットの態度が腑に落ちないせいである。
「何考えているんだい?」
不意に問われて、イルニーフェは仰天したが表には出さず、平然と返した。
「考えることはいっぱいあるわ」
「たとえば?」
「そうね。どうしてあなたはアメリア王女の味方なの?」
リーデットは目をしばたたいた。
「それは………どういう意味? アメリアが君にそう言ったのかい?」
「そんなこと言ったりしていないわ」
「だろうねぇ」
やけにしみじみとリーデットが呟くので、思いつきで質問したイルニーフェの方が逆にそのことを問いただした。
「いや、ね。この間、お見合いが流れて僕が国に帰るときに聞いたんだよ。味方が要るかいって、何なら残ろうかって」
イルニーフェは首を傾げた。
「それで?」
「断られたよ」
「どうして?」
「戻ってきた想い人に誤解されるのが嫌なんだって」
「……………………あ、そう」
白けきったイルニーフェの答えに、リーデットは苦笑する。
「そういうのって何だかいいと思うんだ」
「フラれたのが?」
「………君ももうちょっと言葉を選ぶべきだと思うよ。だいいち僕はフラれたわけじゃないし………」
「だって見合いが流れたということは、そういうことなんでしょう?」
「…………本当に僕の周りはこんなんばっかりだ」
「話を元に戻してちょうだい。それで何がいいの?」
秋の高い空。森の梢を鳥が鳴き交わして飛んでいく。
薄く色づいた陽光に赤茶の髪を透かせて、リーデットが困ったように笑った。
「だってアメリア、本当に一生懸命だから。見ていてすごく気持ちがいい。アメリアが王宮内の機構を変えようとしているのは知ってる?」
イルニーフェは驚いた。
「アメリア王女はそんなことをしようとしているの?」
「うん、そうだよ。そうしたがってる。王宮を改革したいのも、宮廷大臣と大喧嘩して見合いを断っているのも、まじめに政務に励んでいるのも、全部その誰かのためだから。そうまでしてずっと待ってる。そういうのって、何だかいいと思わないかい?」
「…………わからないわ」
「僕はいいなと思った。たぶん姉さんもね。だから味方してる。それじゃダメかい?」
イルニーフェは首を横にふった。真っ直ぐに上を見上げると、穏やかな琥珀の瞳が見下ろしている。
「ダメも何も、あたしは聞いただけだわ。判断するのはあたしではないでしょう?」
リーデットはちょっと笑ってうなずいた。
「―――そうだね」