翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔14〕
行きは十日かかった行程を、シルフィールとユズハはその半分の五日でセイルーンへと帰り着いた。
途中、何もなかったと言えば、大嘘になる。
実に四回ほど追っ手に狙われた。
五日で四回。尋常でない回数である。よほどセイルーンに入る前に剣を奪ってしまいたいらしい。
ユズハの勘を手助けに、全て見つかる前にまいてしまったが。
面倒くさかったが、こちらに敵がひきつけられている証拠でもあったから、来ないと逆に不安でもある。
「しる」
かさばる剣の包みを全身でしっかり抱えたユズハが、端的にシルフィールを呼ばわった。
もはやセイルーンは目の前である。会話するために、シルフィールは馬の速度をゆるめた。
「どうしました?」
「お腹、空いタ」
「………どうやってお腹が空くか聞いてもいいですか?」
「知らナイ」
おそらく、この精霊の少女にとっては『何か食べたい』と言うのと同義語なのだろう。
「セイルーンに着くまで我慢してくださいね」
どこまでもマイペースな半精霊の言葉に返事をして、シルフィールは苦笑した。
「きっと帰れば、好きなお菓子作ってもらえますよ。何ていうお菓子でしたっけ、あの蜂蜜のかかったのが好きでしたよね」
「ン」
シルフィールの前に座しているため、その表情は見えないが、プラチナの頭髪がうなずいた表紙にさらりと揺れた。
「初めテ」
「?」
「りあと、一緒いナイの」
セイルーンを発ってから、こうして戻ってくるまで、二十日余りが過ぎている。
「ゆずは、カラダ持っテから、ずっト、りあと、いタから」
「…………」
シルフィールは慎重に言葉を選んで尋ねた。
「初めて外に出てみて、どうでしたか?」
ユズハがぐるんと思い切り仰向いて、後ろで手綱をとっているシルフィールの顔を見上げた。
にぱっとその顔が笑う。
普段、異常なほどの無表情しか見ていないシルフィールは危うく手綱の操り方を間違えるところだった。
「やっぱり、りあと一緒がいい、ナ」
「…………」
ふわりとシルフィールは微笑んで、片手を手綱から外すと、その頭を軽く撫でた。
「じゃあ、早く帰りましょうね」
「ン」
わずかに馬足が速くなる。
しばらく揺られてから、不意にユズハが口を開いた。
「あ、初めテじゃなイ、かも」
「?」
「二日ダケ、森にいタから」
「?」
保護者のアメリアほど事情に詳しくなく、さらに絶対的に言葉の足りないユズハの説明ではシルフィールに事実がわかるわけもなく、彼女は馬上で首を傾げた。
が、当のユズハにこれ以上説明する気がない―――というか、一人で納得してしまったらしく沈黙してしまったので、シルフィールも特に追求はしなかった。
さらにそれからしばらくが過ぎて、再びユズハが口を開いた。
「しる、来ル。前から」
「………それはマズイですね」
襲撃を避ける意味もあって、見通しのいい、街の正門に続く道を選んで馬を進めていたのだが、相手はどうやら人目を気にするタイプではなかったようだった。
街道の周囲は小麦畑である。いまはちょうど種蒔きの時期のため、畑は土が黒々と露出していて、本当に見通しがいい。ユズハの気配を察する能力はよほど精度がいいらしく、向かってくる相手―――と思われるのは、遠く、セイルーンの白い外壁近くに見えている黒い点に見える人影しか、それに相当するものが見あたらなかった。
「………どうしましょうか」
向こうもあまり派手なことはできないはずである。
回れ右をするわけにもいかない以上、このまま進めば相手とかち合ってしまうわけで………。
わりと呑気にシルフィールが悩んでいると、ユズハが首を横にふった。
「違ウ、しる。来るの、あす」
「あす?」
「りーでに似てるケド、違うノ。女のヒト」
「………ああ」
ようやくそれで誰だか見当がついたシルフィールは緊張を解いて、馬を急がせた。
「でもユズハちゃん」
「ナニ?」
「それならそうと言ってください」
「ン、すまんすまん」
「………子どもは、悪い言葉ほどよく憶えるという話は聞きますけれどね」
アメリアの苦労というか、苦笑が察せられて、シルフィールは自分もやはり苦笑した。
「お帰りなさい」
合流したところで、アセルスが笑顔で二人にそう言った。
「アメリアに頼まれて、迎えに来たよ」
「あす、ただいま」
「はい、お帰り。お使いごくろうさま」
くしゃりとユズハの髪を撫でて、アセルスはその手から剣の包みを受け取った。
馬から降りてシルフィールは尋ねる。
「お帰りになったのではなかったんですか?」
「十日だけね」
軽い口調でそう言うと、アセルスは笑って肩をすくめた。
「だって、アメリアに連絡とったら、私の話を聞いてこっちに来たリーデが不始末をやらかしたって言うし。あのコのことも気になるからね。結局、舞い戻ってきたんだ」
会話を聞かれていたというのは、別にリーデットのせいではないはずなのだが。
「旦那さんと息子さんのことはよろしいんですか?」
「んー、これくらいは平気かな。私、普段からちょくちょく家あけて、あちこちふらふらしてるんだ。今回は行き先もはっきりしているし」
突っこんで聞くと何やら心臓に悪そうだったので、シルフィールは黙っていた。
剣四ふりをまとめて包んであるにもかかわらず、それをひょいと片手で肩にのせて、アセルスは率先して歩き出した。馬から降りたユズハがその後に続く。
「さて、剣は戻ってきたけど、どう出るかな? 向こうは剣が戻ってくることを知っているわけだし、もう二、三日は石組の時間稼ぎのために隠匿しておくってアメリアは言っていたけど………今のうちに口裏をあわせておこうか?」
言いながら、ローブの裾を踏んづけてすっ転びかけたユズハを、空いた手でひょいと抱きかかえて馬に乗せ、何事もなかったかのように歩き出すアセルスに、改めてシルフィールは思った。
(この人、強いです………)
結局、職務熱心な門兵に荷の形を見咎められ、アメリアたちはその日のうちに剣が戻ってきたことを公表するはめになった―――
その翌日。日も暮れてからのことだった。
その報告を聞いたアメリアは、執務机を思いっきり叩いて怒鳴っていた。
「まだ一日しか経っていませんよッ。ふざけないでくださいッッ !!」
あまりの大音声に、居合わせていたシルフィールが目を見張る。オルハと遊んでいたユズハがきょとんとアメリアの方を見た。アセルスはと言えば、拳の叩きつけられた樫の机にちらりと目をやった―――真ん中から割れる日もそう遠くなさそうである。
「この王宮の警備体制はいったいどうなっているんですかっ」
怒鳴りつけられた衛兵隊長が顔面を蒼白にしてしどろもどろに言い訳をする。
もたらされた報告のあまりの事実に、完全に頭に血の上っているアメリアは容赦がなかった。
「アストラルプレーンからの探索をすぐに行ってくださいッ。指揮を執っていたのは誰です !?」
アメリアはドレスの裾をひっつかんで扉に向かって歩き出した。
「父さんは何と言ってました?」
返答を聞いて、足を止めたアメリアの表情が、若干やわらぐ。
「そうですか。もう動いているのなら別にわたしが行く必要はありませんね。人の出入りを規制しなさい。猫の子一匹王宮から外に出すのではありません。それらしい包みは全て王命において開封しなさい。全員の剣を調べるんです。短剣、小剣、レイピア全てですよ。父さんのところにいって、いまの命令を復唱して許可をとってください」
衛兵隊長を扉の外に追い出すと、アメリアは深々と溜め息をついた。
そのままその口で呪文を詠唱すると、風の結界が部屋を覆う。
盗聴の危険がなくなってから、アセルスがアメリアをからかった。
「けっこう板についてきたみたいだね」
「勘弁してくださいよ」
アセルスの言葉に、アメリアはげんなりした表情で机の方に戻った。
「命令口調が板につくなんて、イヤです―――どうしました、ユズハ?」
ユズハは神妙な顔で手に持っていた物体を掲げて見せた。
「………ネコ」
「王宮から出なきゃ平気ですよ」
同じく大まじめな表情でユズハに答えを返すと、アメリアは椅子に座り、肘掛けに頬杖をついて苦笑した。
「すばらしい早さだと思いませんか?」
アセルスとシルフィールがうなずく。
「いくらなんでも不自然すぎます」
「だよねぇ。ステキな場所だよ。盗難品を取り戻した翌日にまた盗まれるんだから」
アセルスの口調はのんびりしているが、言っていることにはかなり容赦がない。
「何らかのリアクションがあるだろうとは思ってましたけど、こんなに早いとは思ってもみませんでした」
しかし予想していたとはいえ、怒り狂ったのも事実だった。あれは演技ではない。彼らは精一杯やっていたのかもしれないが、わずか一日で再盗難にあうという事態はやはり大国の王宮として許せないものがある。
「まあ、でもこれではっきりしたんじゃないかな」
「ですね」
アメリアはうなずいた。
「王宮のかなり上位。もしくは情報が与えられる位置の人間に黒幕、もしくは内通者がいますね」
あまりの反応の素早さがそれを物語る。
だが、同時にそれは危険をはらんでもいた。
相手が、剣が戻ってすぐに盗難をはかる危険性に気づかないはずはない。こちらの動きに向こうが焦ってきている証拠だった。
「アメリアさん、どうしました?」
奇妙な笑みを浮かべているアメリアにシルフィールが訪ねる。
彼女は昨日から客分として王宮に滞在していた。事が片づくまで、アメリアはシルフィールを留めおくつもりだった。また、彼女自身もそれを望んでいる。
笑みを見咎められたアメリアは、イタズラっぽい表情で右手を閃かせた。
人差し指と中指の間にはさまれた薄片を見て、シルフィールとアセルスはそれぞれの表情で納得した。
「どこにそんなの仕込んだの」
「鞘と剣の間にむりやり押しこみました。剣を抜かない限り気づきません」
「目的は柄の石ですから、抜きませんね」
シルフィールの言葉に、アメリアはうなずいた。
「触ったら、ものが賢者の石だけにすぐに偽物だと気づくでしょうから、すぐにでもこれを作動させて証拠を録らないと………皆さん、静かにしていてくださいね。一応、周りに風の結界はりますけど、音が筒抜けちゃいますから」
レグルス盤をもてあそびながら、アメリアは不意に表情を改めた。
「………それにしても、賢者の石がほしいだなんて」
それは最も暴力的で直接的な種類の力を欲しているということだ。
アメリア自身が欲している力とは全く異質なものだけに、相手が何を目的としているのかが見えてこない。
手に入れた賢者の石で、何を成そうというのか。それとも、何かを成すわけでもなく、ただ力のみが欲しいのか。
力は、それを制御できるより大きな力の元へ行かねばならない。また、心よりそれを欲して、きちんと制することのできる意志の元へ。最大の敵は己自身なのだ。
権力も、魔力もそれは変わらない。
力は人を狂わせるから。
「―――アセルス姉さん」
「何?」
床に腰を降ろして、ユズハと一緒にオルハの相手をしていたアセルスが顔をあげる。
「わたしは、変わらない人ですか?」
意味をとらえかねたシルフィールは、アメリアとアセルスの顔を交互に注視した。
アセルスが目を細めて妹弟子を見た。
「アメリアが、その彼を好きな限りはね。だって、アメリアが王宮内での力を欲するのはその誰かさんのためでしょう? なら、力を持っても変わるわけがない。もともと、彼がいなければ特に欲しくなかったわけだから。目的に到達するための手段でしかないものを手に入れて、変わるの?
―――今更アメリアは何を言っているのかな?」
「たまには誰かに言ってもらったほうが自信がつきますから」
たいして不安にかられていない表情で、アメリアが肩をすくめた。もともと本気で問いかけたわけではない。
アセルスがユズハの頭を撫でながら、さらに続ける。
「とりあえず、さっさと石をほしがっている誰かの掃除をすませてしまって、味方を集めにかかるべきだね。ああ、ところでアメリア―――」
一番下の引き出しから、あらかじめそこに用意してあった記録球を取り出そうと机に手をついていたアメリアが、顔だけあげてアセルスを見た。
「何です?」
「体重かけるとマズイよ、机」
べきゃっと机が砕ける音がした。