翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔15〕

「野宿でごめんね」
 いらいらとイルニーフェはリーデットを見返した。
「だから。どうして謝るのかしら? あなたは何か悪いことをしたの?」
「いいや。したのなら、謝るよ」
「旅程の都合上、この野宿は避けられないものなんでしょう? だったらあなたが謝る必要は欠片もないんじゃないの?」
「そうだね」
 会話に疲れたイルニーフェは深々と嘆息した。
「なら最初っから謝らないでちょうだい」
 十日ほどの日程のおよそ半分を二人は踏破していた。
 国と国との間には街道が渡されて、たいてい一日歩けば夕方にはどこかの街や村に着くようになっているが、ときたまそうではない場合がある。
 二人の場合も、そのときたまな状況だった。季節的に、あと十日も過ぎれば野宿はきつくなるだろう。
 肌寒さにイルニーフェは溜め息をついた。
「どうしてここには村がないのかしら。街や村に沿って街道をつくるものでしょう? そのぶん曲がって遠回りになるから裏の街道ができるって聞いたんだけれど」
 踊る炎を見つめながらのイルニーフェの問いに、うん?と小さくリーデットはうなずいた。
「ここは国境だからね。しかもただの国境じゃない。エルメキアとゼフィーリアとセイルーンの三国が接している地域だから。統治も行き届かないことが多いし、盗賊も出る。誰だってこんなところに住みたくはないよ」
「そうかもしれないわね」
 不意にリーデットは口元に笑みを浮かべるとイルニーフェを見た。
「もし君が王様だったら、このあたりをどうする? きちんと整備して村を造って街道を通すかい?」
「あなた頭悪いの?」
 途端にイルニーフェの鋭い声が飛ぶ。
「それとも頭が悪いフリをしているの?」
「それはもちろん………」
 リーデットは苦笑した。
「後者だけど」
「でしょうね。ようするにあたしを試そうとしたわけね」
 イルニーフェはあっさりそう言うと、十二も年長の人物を軽く睨んだ。
「例題が悪すぎだわ。領土問題が頻発している、沿岸諸国連合にいた国の公子が出す問題じゃないわね。あなた仮にも跡継ぎなんでしょう?」
「一応はね」
 悪びれずにリーデットはイルニーフェを促した。
「まあ、例題の悪さはともかく試されてみる気はないかい?」
 呆れたようにイルニーフェがリーデットを見た。
「………どういう神経をしているの」
「こんな神経だけれど」
「……………………わかったわよ」
 答えたらさっさと寝ようとイルニーフェは思った。
「あたしならこのまま放っておくわね。三国ともいまのところは自国の領土に満足しているもの。物の流通は街あってのものだし、国境の街とその周辺は三国ともしっかりと管理してるでしょう? 商取り引きも盛んで、いまのところ何の問題もないわ。この先このあたりに拠点となる街ができれば話は別かもしれないけど、いまはそうじゃないし、適当にされてるところをわざわざ明確に線を引いて区分して問題を引き起こす必要なんてないじゃない。土地がない沿岸諸国ではそうもいかないんでしょうけど、大きな国だもの、こういういい加減な部分があったって良いのよ。はい答えたわよ」
 リーデットが奇妙な目つきでイルニーフェを眺めた。
「どうして君みたいな変な子が普通の身分にいるの」
「ご挨拶ね」
「………だって、普通に生きていく分には絶対考える必要なんかないことじゃないか」
「どんなことだって理屈は一緒だと思うのよ。母さんと暮らしていた街にはみんなで共有していた山があったわ。みんなそこに好きに入って槙をとったり茸をとったりしてよかったの。だれかがその山を自分の物だっていったら怒るわよ。このあたりの土地ってそういう曖昧なものなんじゃないかしら」
 イルニーフェは不意に顔を歪めた。
「姉さまに引き取られてから、そういうことはいっぱい考えたもの………」
「………君のお姉さんはどういう人だった?」
 静かにリーデットが訪ねた。
 わずかにためらってから、イルニーフェは答えた。
「………優しい人だった。優しすぎて弱い人だったわ」
 たまさか窓辺に見える、大気の塵が生み出す光の筋のような人だった。
「どうしてって聞いたの。引き取られて半年ぐらいしてから、どうしてって。子どものあたしの目から見ても、あたしの父親だって聞かされた人はどうしても良いロードには見えなかったから。王様や領主様はみんな偉くて、立派な人たちばかりだと思っていたから、心底不思議だったのよ。どうしてあんな人がロードで、姉さまみたいなロードの子どもやそのお付きのあたしは、他の人よりお金があるのって姉さまに訊いたの」
「そしたら、何て?」
 炎は踊る。夜の大気は降り積む。
 だんだん自分の感情に歯止めが効かなくなっていくのがわかった。
「わからないって言ったわ。何かが間違っているんだろうけれど、自分にはわからないって首をふった。そんな人だった」
 そのときは、それでよかった。
 いつかわかるのだろうと思った。
「そんな人だったから、あたしが護ってあげるんだって思ってた。ずっと姉さまのそばにいるんだって思ってた。なのに………」
 わかるときは来た。確かに。
 だがそれはあまりにも唐突で。
「あたし、表向きは姉さまの侍女だったから、あたしがそのときの料理を運んだの。毒入りだなんて知らなかった………! 姉さまは信じられないような顔であたしを見て、それからすぐに笑ったのよ。血を吐きながら。どうして笑えるの………!」
 自分は何も知らない子どもで。
 セイルーンから急使がきたとき、ようやく全てを悟った。
「あたしはそのときやっとわかったんだもの。ロードの上には国王がいて、国王があたしのところのロードを放っておいたんだって。あと三日早く使者が来ていれば、姉さまは死ななかったのに! 笑いながら、血を吐いて死んだりしなくてもよかったのに !!」
 黙ってイルニーフェが言うにまかせていたリーデットが、やがてぽつりと言葉を落とした。
「………イルニーフェは偉いね」
「偉くなんかないわよ! よけいなこと言わないでよ!」
「偉いよ。それで王宮まで来たんだろう?」
「………だってどうしていいかわからなかったんだもの」
「君の場合、きっとそれで正しかったんだよ。それとも、まだ泣くかい?」
 イルニーフェは毛布がわりのマントで顔を拭うと、リーデットを睨んだ。
「最低。女の子が泣いているときにそういうこというの」
「姉さんが言うんだ。目の前で女の子が泣いていて、それが自分のせいじゃないんなら放っておいて、一通り泣かせた後でどうするか聞いてそれにつきあえってさ」
「………自分のせいなら?」
 リーデットは神妙な表情で答えた。
「とりあえず自分は最低野郎だということを肝に銘じて、責任とって結婚しろってさ。こんなこと言われたら女の人なんて迂闊に近寄れないんだよねぇ。どういう基準で泣くのかがさっぱりわからないから」
 ぱちりと炎がはぜた。
 イルニーフェは呆気にとられた。
 泣いていたことも忘れてまじまじとリーデットを見る。
「………あたしは、前者、よね?」
「たぶん。後者だとかなり困るし………」
 自信がなさそうにリーデットがうなずいて、しん、と沈黙が落ちた。
 梟の鳴き声が二、三回した後で、沈黙は唐突に外からの声に破られる。
「―――盛り上がっているところを悪いんだが」
「 !? 」
 イルニーフェがびくりと肩をこわばらせた。リーデットが片膝立ちになって剣の柄に手をかける。
 炎が作り出す明かりの輪から、ぎりぎり外れたところに、白い影がわだかまっていた。月は半ば欠けていて明かりが足りず、正体がよくわからない。
「だれ !?」
「だれでもいいだろう? もともとここは共同の野営所だぞ。後から来て騒ぎ立てていたのはあんたたちのほうだ」
 イルニーフェは愕然としてリーデットを見上げた。見上げられた彼の方も首をふる。
 先客がいた気配など微塵もしなかったのだ。
「ちゃんと姿を見せたらどうなのかしら?」
「その先客が僕たちに何の御用だい?」
 重なるように言われて、白い影はわずかに明かりの輪のなかに体を入れた。
 白い服とマント、腰の剣が目に付くが、上半身だけはまだ影の中にある。
 影は言った。
「囲まれている。心当たりはあるか? 俺はいまのところないんだが」
「な―――!?」
 絶句した二人に対して、人影は軽く肩をすくめた。
「その様子だと、そっちのせいのようだな」
 イルニーフェが立ち上がった。
「盗賊とかではないの?」
「こんなに綺麗に気配が消せる盗賊がいるか。無関係だから無視を決めこみたいが、見逃してくれそうにないから、あんたたちに話しかけているんだ」
「人数は?」
「そこまではわからない。少なくとも四人はいるな」
 どうやら向こうの目をごまかせたのもこれまでらしい。
 イルニーフェをふり返ったリーデットに、彼女はぴしりと言った。
「荷物持って先に逃げろとか言い出したら、ますます見損なうわよ」
「言わないよ。逃げられないからこの人が、僕たちに話しかけてきてるんじゃないか。ところで僕はいつ最初に見損なわれたの」
「さっきくだらない試験をしかけたときよ」
「漫才はあとにしてくれるか?」
 げんなりとした声で人影が言った。
「で、やっぱりあんたたちのせいなのか?」
 隠すのも馬鹿らしい。イルニーフェとリーデットはうなずいた。
「助けてくれるの?」
 返答は素っ気なかった。
「俺は死にたくないから自分の身を守るだけだ」
「何なの、それは。助けようとは思わないの? こんな小さな子どもがいるのに」
「自分で言うな」
「だって事実だもの」
 悪びれずにイルニーフェは言うと、リーデットを見上げた。
「どうするの」
 リーデットはあっさりと言った。
「君を雇おう。幾らだ」
 呆気にとられた気配が闇の向こうから伝わってきた。
「僕とこの子の安全を確保できるまで君を雇いたい。言い値を払うよ」
 フッと闇の向こうで笑う声がした。
「安くないぞ」
「ならよけいに結構。腕は悪くないということだろう?」
「ちょ、ちょっとリーデ―――」
 リーデットはちょっとだけイルニーフェを見て、すぐに肩をすくめた。
「どうせお金払うの僕じゃないし」
「…………」
 呆れ果ててイルニーフェは、闇の向こうの人影に顔を向けた。
「というわけらしいから、雇われてくれないかしら、剣士さん。ちなみにあたしたちはエルメキアまで行くつもりなんだけど」
「………最後までつきあうつもりはない。この場だけならいいだろう」
「それで充分だ」
 イルニーフェが、焦った表情で口をはさんだ。
「あたし、簡単な呪文くらいなら使えるんだけれど、身を守れる自信がないわ。どうすれば邪魔にならないですむかしら?」
「ライティングは使えるか?」
「使えるわ」
「なら―――」
 始めて影が近くまで寄ってきた。
 白いフードとマスク。顔は見えないが、こぼれた銀髪が月の光を弾いている。
 静かな音と共に剣が抜かれた。
 くぐもった声が告げる。
「俺の合図と同時に、放て―――」



「―――ライティング !!」
 合図と同時に、イルニーフェは示された方向に向かって最大光量の明かりを投げつけた。
 まぶたの裏を皓い光が灼いていく。
 すぐに両脇で動く気配がして、剣戟の音と人の声とが重なった。
 目を開けると、すでに一人が地べたに転がっていた。濃い血の匂いがする。
 呆然としたが、すぐに我に返って小声でスリーピングの呪文を唱え始める。何かの役に立つかもしれない。
 襲撃者の数は五人だった。
 白い服の人物が三人を相手にして、リーデットの方も同じく二人を相手にしている。
 だが、技量のほうが圧倒的に違う。
 ほどなくリーデットのところからこぼれた一人がイルニーフェのところに向かってきた。
「石はどこだ」
 立ちすくんだようにイルニーフェは動かない。
 黒い袖に包まれた手が伸ばされた瞬間―――
「スリーピング!」
 呪文を解放しながら、イルニーフェは後ろに飛び退いた。
 まさか呪文の一撃を食らうとは思ってもいなかったのだろう。呆気なくその体が倒れこむ。
 そのときには、リーデットも白い服の人物のほうも割り当てられた襲撃者を倒していた。
「イルニーフェ、怪我は?」
「見てのとおりよ。そっちのほうこそ、アセルス公女はもっと強かったと思うけれど?」
 リーデットは苦笑した。
「だからだよ。僕はよける専門」
 硬質な音に目をやると、白い服の人物が剣を鞘に収めるところだった。
「ありがとう。君のおかげで助かった」
「礼はいらん」
「あら、好意は素直に受け取るものよ。報酬とは別にね」
 イルニーフェの言葉に、その人物――おそらくリーデットと同年か年長の青年―――は苦笑したようだった。
「その報酬なんだけれど、いまはあまり持ち合わせがないんだ。次の街まで同道してくれるわけにはいかないかい?」
「―――悪いが、人の集まるところは苦手だ」
「しかし、それだと君の技量に見合うだけの報酬が支払えない。契約不履行は姉さんに怒られるから勘弁してほしいんだけど」
 青年はわずかにみじろいで、次に深々と嘆息した。
「なら、契約はなしだ。俺は善意の人助けをしたとでも思っておく。さっさと行った方がいいんじゃないか」
 イルニーフェは眉をひそめた。
「………悪いんだけれど、あなた、とてもそういう善意の人助けをしそうな人物には見えないわ」
「だから、そう思っておくと言ったんだ。こいつらの第二弾が来る前に次の街に行ったほうがいいんじゃないか?」
 イルニーフェとリーデットは顔を見合わせた。
「本当にいいの?」
「なんならこいつらの懐を探っていってもいい。面倒は嫌いなんだ。頼むからさっさと行ってくれ」
 にべもない言葉にイルニーフェは眉を吊り上げて何か言いかけたが、リーデットがそれを黙らせる。
「なら、感謝を。助けてくれてありがとう。僕だけじゃどうにもならなかった。道中の無事を祈っている」
「ああ」
 軽く手をあげてリーデットの言葉に応えると、青年はさっさと身をひるがえした。
「ちょっと待ってよ!」
 めんどくさそうに人影がふり返る。
「何だ。まだ何かあるのか」
「名前を教えてちょうだい。あたしはイルニーフェ。こっちはリーデットよ。あなたは?」
「知ってどうする」
「知るも何も、名乗りあうのは基本でしょう?」
 青年は逡巡したのち、低い声で答えた。
「―――ゼルガディスだ」
 イルニーフェは晴れ晴れと笑った。
「そう。なら、縁があったらまた会いましょう。そのときに御礼をさせてちょうだい」
「あるとは思えないが、まあ、覚えておく―――」
 そう言うと、今度こそゼルガディスは背を向けて立ち去った。



 緊張から解放されてほっとした表情でイルニーフェが連れの青年を仰ぐと、マラードの公子は何とも奇妙な顔でゼルガディスが立ち去ったほうを見ていた。
「どうしたの?」
「いや………うーん。………まさか………」
 しばらく唸った後、リーデットは荷物を持ち直した。
「何でもない。たぶん僕の気のせいか考えすぎ。先に進もうか」
「はあ?」
 怪訝な顔でイルニーフェはリーデットを見返したが、彼の方は何事もなかったかのように火を消しはじめた。
 わけがわからないながらも、それを手伝い、それから夜の街道を歩き出して幾ばくも経たない頃だった。
 二人の前に人影が立った。
 小柄な影。魔道士の服装で、弱い月の光に明るい色の髪のきわが光り輝いている。
 真紅の瞳がイタズラっぽく二人の姿をとらえていた。
「イルニーフェ?」
 それは質問ではなく確認だった。
 イルニーフェがうなずくと、人影は笑った。
「初めまして。あたしがリナ=インバースよ。迎えにきたわ」
 それが、旅の終わりを告げる声だった。