翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔17〕

 イルニーフェとリーデットはしばし呆然と目の前の人物を凝視していた。
 出逢いの夜だ、とイルニーフェは思った。
 別に何か含みがあるわけではなくて、先の襲撃のこともあって、単に素直にそう思っただけなのだが。
 いまここにはいないアメリアとシルフィールに聞きたかった。
 ―――本当に、あたしはこのに似ているの?
 鮮やか、というシルフィールの言葉も同時に思い出す。
 イルニーフェにとっては、アメリアもシルフィールもアセルスも皆、鮮やかだった。
 そして目の前の、生きながらにして伝説を負う人物も。
 理屈でなく、肌で納得した。
 アメリア王女が凛として見えるのは、この目の前の人物を知っているから。
 こんな目をする人と知り合いなら、誰だって堕ちた人間にはなりたくない。常に誇れる自分でありたい。
 リナが聞いたら、顔をしかめて首をふるだろうが。
 リーデットがようやく口を開いた。
「………君がリナ=インバース?」
「そうだけど?」
 名乗ったじゃない、といささか不審そうにリナがリーデットを見返した。
 リーデットがくしゃりと前髪をかきあげた。
「………まいったな」
「は?」
 イルニーフェとリナが注視するなかで、リーデットは苦笑した。
「想像以上だ」
「………どういう意味よ、それ。ってゆーか、あなた誰なの? シルフィールとユズハの姿も見えないし。事によっては吹っ飛ばすわよ?」
「ああ、ごめん。僕はリーデット。セイルーン属国のマラード公国の人間だよ。イルニーフェたちとは途中から合流したんだ。ふっとばされるのは勘弁してほしいな。蹴り足とは違ってよけようがないからね」
「あの半精霊とシルフィールなら一足先にセイルーンへ戻ったわ。偽物をとりつけた剣を持って」
「ふーん」
 リナの目がきらりと光った。
「がんばってんじゃない、あの子。宮廷魔道士がボロを出すのも近いわね」
『宮廷魔道士 !?』
 異口同音にそう叫んで、二人は顔を見合わせた、イルニーフェの方が何で真似するのという表情でリーデットを恨みがましくねめつけている。
 そんな二人を呆れたように見て、リナは言った。
「たぶん、犯人は宮廷魔道士のうちの一人だと、あたしは思うわよ?」
「どうしてそんなことが言えるの?」
「だって他に思い当たる節がないもの」
 秋口の冷えた夜風に髪が流され、それにわずかに顔をしかめて彼女は続ける。
「モノは賢者の石。ただの人間が持てば石っころ。魔道士じゃなきゃ意味がないわ。セイルーンへの牽制や自国の力を増すためにしては、手段が派手なうえに、欲しがり方が尋常じゃない。………ま、あたしも同じ魔道士だからこそ、わかることかもしれないけどね………」
 自嘲めいた言葉に、イルニーフェは服の上から石の入った袋をにぎりしめていた。
 力が欲しかった。
 自分も、アメリア王女も、敵も、目の前の人物も。
「………どうして」
 唇から洩れた呟きに、リナが怪訝な顔をする。
「イルニーフェ?」
 リーデットが自分の隣りに立つ少女を見おろした。
 イルニーフェは真っ正面からリナに向き合った。
「あなたはどうして、これが欲しいの?」
 真紅の目が軽く見開かれた。
「………ただのお使いじゃなかったの?」
「答えてよ。あたしが知りたいの。確かにただのお使いだけど、これは―――」


(………やりたいことがないのなら、見つければいいですよ)


「―――あたしの旅でもあったから」
「…………」
 リナの目がフッと細められた。
「たいしたことじゃないわ。ただ、守りたかっただけよ。そのために必要な力の種類が、たまたまソレだった」
 リナの指が、握りこんだ袋を示す。
「アメリアの欲しい力が、あたしとは別のものなのと同じことよ」
「聞いてもいいかしら。リナ=インバース、あなたは何を守りたいの?」
「尋ねてばっかりね、イルニーフェ」
 リナが笑った。嫌な感じのしない、からりとした笑いだった。
「いま答えないとダメ? さっさと歩いて街につきたいんだけど」
 イルニーフェは肩の力を抜いて、笑った。
 何だかものすごく久しぶりに笑ったような気がした。そんなことはないはずなのに。
「短くてもいいから、いま聞かせてほしいの。これで、何を守るの?」
 リナがそっと指先を唇にあてて呟いた。
「あたしの、世界を」


 イルニーフェは胸の内でそれに答えていた。
(あたしは、変えたかった。あたしと、あたしの世界を)


 姉さまがいなくても生きていけるように―――



 同時刻―――
「ああ、雨が………」
 シルフィールは王宮の廊下から、窓の外を見上げて呟いた。
 糸のように細い雨が静かにまっすぐに地に落ちていく。
 雨音などするはずのない霧雨にもかかわらず、さあっと密やかな水の音が聞こえてそうな雨の夜だった。
「湿気。濡れル。キライ」
 ユズハが同じく窓の外を見て呟いた。
 昨夜盗難が発覚し、王宮のなかで捜索が行われ、そして今日の夕刻に剣が見つかった。
 普段は誰も通らない、人気のない忘れられた庭の茂みのなかから。
 事情を知らない大多数の人間にとって、この事実は全く意味不明だろう。盗まれたはずの剣が王宮の庭の一角からでてくる。そこには何の関連性も見つけられない。場所が王宮でなければ、子どものイタズラかと思うところだろう。
 しかし、事情を知る少数であるアメリアとアセルスは、剣が見つかるとすぐに行動に移った。あれから一昼夜ずっと録音し続けていた、レグルス盤から聞こえてきた音声を収めた記憶球と、以前アメリアが発見したレグルス盤のほうからの記録球を、フィリオネル王子の執務室へと持ちこんだのだ。
 シルフィールとユズハは扉の外で二人が出てくるのを待っている最中だった。
「きっと外は雨のせいで寒くなっているんでしょうね」
「雪、降ル?」
「それはもうちょっと先になりますね」
「雪、スキ。見るの。りあと、見るの。ずっと、一緒いるの。一緒にぜる、待つノ」
 いつになくユズハは饒舌だった。
 シルフィールが何か言葉を返そうとしたときに、執務室のドアが開いてアメリアとアセルスが出てきた。
「召喚状と逮捕状が発行されます。発行され次第、それを持って、兵たちが邸宅に向かうことになっています」
 アメリアが開口一番にそう告げた名は、以前、庫に入った人物として名前を出された宮廷魔道士だった。
 シルフィールは首を傾げる。
「遅くはありませんか? 向こうは剣の玉が偽物だということに昨日のうちに気が付いているんですよ?」
 そう。相手は賢者の石が偽物であることに気づいている。だから保身のために剣を捨てた。レグルス盤を通して聞いていたから確かだ。
 保身も何も、盗聴されていた時点でもうこちらにバレているのではあるが。
 シルフィールの懸念は、昨夜のオーブの記録のなかに、イルニーフェたちのほうに襲撃をかけるような内容の言動があったことだった。もちろん石が今頃どこにあるかということが向こうにわかるはずはないが、アメリア王女がリナ=インバースと懇意にしていることと結びつけて考えられる可能性は充分ある。
 石をリナに渡したことも、アメリアは父親にうち明けていた。ここまできて隠し事は正義ではない。
「だからってフィルさんも周りの人に言っていうわけにはいかないじゃない? まさかモノは賢者の石で、おまけにその本物は今頃旅していて、そっちが襲われる可能性があるから早く動くようになんて」
「そういうわけで」
 アメリアが、ぱんと手を打ち合わせた。
「いまから行きましょう」
「ほ、本気ですかっ !? アメリアさんっ」
「もちろん。父さんからも許可はもらってあります。大丈夫ですよ。行って、在宅の有無をそっと確認するだけですから。夜逃げの気配がなければそれでよし。セイルーンから雲隠れしそうなら、その場で正義の鉄槌を下すということで」
 さらりととんでもないセリフを吐くと、ドレスを着替えるためにアメリアは歩き出した。その後に続きながら、慌ててシルフィールは問いかける。
「あの、もしも夜逃げしそうで成敗しなければならなくなったとき、令状はどうされるんです?」
 アメリアが立ち止まってふり返った。
 朽ち葉色のドレスがさらりと衣擦れの音をたてる。
「わたしが令状です。はったりってこういうときに使うものだってリナさんから習いました♪」
「上等上等。やっぱり私、リナ=インバースと会ってみたいよ」
 呆れたよう溜め息をついて、シルフィールはにっこり笑った。
「もちろん、わたくしもご一緒してかまいませんよね?」
「ええ。えっと、ユズハはどうします? 雨に濡れるのがイヤなら待ってますか?」
 アメリアの問いかけに、ユズハはそのクリーム色の頭をぶんぶか振って答えた。
「行ク!」



 煙るような雨のなか、さらに闇がわだかまっている細い路地で、一人と複数の人間が距離をとって相対していた。
「来たか」
「ほ、本当に街を出るのを手伝ってくれるのか?」
 フードをかぶった人物の方が問いかけた。声は初老の印象を与える。
 セイルーンほどの大きな街ともなれば、街の周囲には外壁がつき、夜には門が閉められて通行が禁止される。
 依頼を受領した方であるらしい男たちは低く笑った。先頭の男が答える。
「当たり前だ。あんたの場合は外壁門の通過とその後の護衛だろう? 金さえちゃんともらえれば何でもする」
「ま、前金は払った―――」
「おうよ。だからちゃんと頼まれたことはやる。おい、手はずはいいな? さっさとセイルーンから―――」
「どこへ行くんですか?」
「 !? 」
 突然わって入った女の声に、場に緊張が奔る。
「誰だ !?」
「ユズハ」
 さっきとはまた違う、今度は幼いトーンの高い声がした。
 声の方を見ると、この雨のなかフードもかぶらず、濡れた木箱のうえにとんでもなく可愛らしい少女がちんまりと腰掛けている。足をぶらぶらと揺らしていた。
「ガキ !? いったいどこから―――」
「あっち」
「答えなくてもいいよ。ユズハ」
 暗がりから呆れたような声がして、子どもの横に立った。闇の中ではその輪郭しかわからない。フードの人物にその声がかけられる。
「だから、この雨の中どこに行くのかな? セイルーン王宮筆頭魔道士ともあろう人が」
 びくりとフードの肩が強張った。
 違法な脱出を助けようとしていた男たちの顔が引きつったようだった。
「何だと………!? ってぇことは、こいつに一枚噛んだら俺たちゃお尋ね者になるってわけかッ !?」
「あの………もしかしていまはまだ犯罪者じゃないと思ってらっしゃいます?」
 また反対側の路地の入り口から遠慮がちに別の女の声がした。長い髪が雨に濡れて重たそうにはりついている。
「単なる小金稼ぎとお尋ね者じゃレベルが違うッ。はした金で命を捨てられるもんか」
「ば、倍………いや、五倍払う。何とかしてくれ!」
 悲鳴のような声をフードの人物があげた。
 途端に男たちの表情がうってかわって考え深げなものになる。相手が女二人と子ども一人というのも有利に働いた。
 呆れたように子どもの横の女が嘆息する。
「相手を見なきゃダメだよ。―――あれ、高いところにのぼるのはやめたの?」
「アセルス姉さん、わたしをいくつだと思ってるんですか………ま、ホントはのぼりたいですけどね」
 同じく嘆息混じりの声がして、髪の長い女の横にまた別の小柄な人影が立った。
 路地にいるところを二人、二人ではさまれた形になる。
「無駄な争いをせずに、その人を引き渡してもらえませんか?」
 まとめ役らしい男がちらりと依頼主に目をやった。
「おい、じいさん。本当に五倍払ってもらえるんだろうな?」
「は、払う………!」
「よしその言葉を忘れるな」
 ユズハが座った木箱の上に頬杖をつきながら、アセルスが苦笑した。
「あーらら。往生際が悪いこと」
 闇に紛れて自邸を出るのを発見して、ここまで後を追ってきたのだ。どうやら保身優先で雲隠れ、おそらく、レグルス盤から聞こえてきた襲撃の件は、雇った人間と落ち合う場所を逃亡先にでも指定しているのだろう。
 シルフィールがためらいがちに囁いた。
「以前お見かけしたとき、そんな方にはとても見えませんでしたのに………」
「石に、目がくらんだんでしょうね」
 アメリアがかぶりをふって、髪から滴る水滴を払い落とした。
 宮廷魔道士を中にはさむような形で、ユズハとアセルスに二人、シルフィールとアメリアの方に三人が、短剣やその他の武器で相対していた。
 おとなしく退く様子は見受けられない。
 濃紺の瞳が相手を見据えた。瑠璃の飾りが勢いよく揺れて鳴る。
「しかたありませんね。お尋ね者になる前に、捕まえてあげますッ!」
 アメリアは、言うと同時に石畳を蹴った。



 あっという間にならず者全員を濡れた石畳に這わせて、アメリアは全身濡れそぼったまま、フード姿の宮廷魔道士に相対した。
「どうして、石が欲しかったんです。魔道士としての本能ですか」
 滴が髪から頬を流れ、顎を伝ってしたたり落ちていく。
 すでに観念した魔道士が苦渋に満ちた声で答えた。
「………あれさえあれば、若い頃に諦めなければならなかった研究や知識欲が全て満たされると私は思った………」
 雨は冷えている。指先が冷たかった。
「魔道士は、力の探求者です。ですが、力そのものを追い求める限り、あなたに石を渡すことはできません」
「なぜです。なぜ私では駄目で、リナ=インバースなら良いと殿下はおっしゃるのです !? 不公平ではありませんか!」
 アメリアはゆるくまばたいた。シルフィールが点した淡いライティングの光を弾いて、睫毛の先に乗った微細な水滴が飾りのように光る。
「力そのものを欲しがらないから」
 彼女は、とっくにその段階を越えて先へ行ってしまった。
「その先に目的があるからです」
 大切な人を守りたいと願う、その気持ちを自分は知っているから。
 だから、渡したかった。
「あとは………わたしの身勝手です。あの人にあげたかったから。リナさんに使ってほしかったからです。ええ、不公平ですね」
 魔道士が身をふるわせる。
 アメリアはそれを制するように口を開いた。
「憤るのはかまいません。けれど、わかってないようですから、言いますね。わたしが怒っているのは、ここまで来たのは、石を欲し、国璽を巻きこんで盗難を働いたことじゃありません。あの子を―――イルニーフェを、利用したことです」
 あんなに強く、真摯に。
 真っ向からぶつかってきた、光を放つ黒い瞳をした彼女を。
「それがわたしには、どうしても赦せません………!」
「おとなしく一緒に来てもらうよ」
 微かにふるえたアメリアの語尾にかぶさるようにして、アセルスの声が響いた。
「アメリアさん………」
 シルフィールに促されて、アメリアは目を閉じ、そして再び開いた。
 音を吸い取るような霧雨のなか、静かに声が響く。
「背任、露見致しました。宮廷魔道士職は、現時点を以て解任。裁可下るまで王宮での牢籠ろうろうをアメリア=ウィル=テスラ=セイルーンの名において命じます」
 雨の中、宮廷魔道士だった初老の男が、がっくりとその場に膝をついた。