翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔2〕

 夜明け頃になってようやく寝室に戻ってきたアメリアは、起きて帰りを待っていたユズハを見て、微笑んだ。
「寝てなさいって言ったじゃないですか」
 叩きすぎてくたくたになっている枕を抱えて、ユズハが頬を膨らませた。
「りあ寝てない。寝る必要、ナイ」
「そうですね………」
 アメリアは苦笑した。
 精神世界面から具現化してここにいるユズハには、確かに睡眠など必要ないだろう。
 ドレスを脱ぎ捨てて夜着に着替え直したアメリアは、ベッドに潜りこむと、ユズハの艶々したクリームブロンドを撫でた。
 人形は髪が伸びるものだというわけのわからない思いこみのもと、勝手に伸び続けているその髪は、四年の間、常に肩口で切りそろえられている。以前、伸ばさないのかと訊ねてみたのだが、食べ物を食べるときに一緒に髪の毛も食べてしまうのがイヤだというような答えを返された。
「ごめんなさい、ユズハ。ちょっとの間だけ、王宮を留守にします。あんまり騒ぎを起こさないようにしててくださいね」
 ユズハがアメリアを見た。
「どして。どこ行くノ」
「ちょっと困ったことが起きちゃったんです」
「お仕事?」
「………そうですね。お仕事になります。執務の延長線上です」
「大変」
「ですね」
「つまんナイ」
「ごめんなさい。おみやげ買ってきますね」
 そう言って、アメリアは以前にも同じセリフを言ったことがあるのを思い出した。
 ユズハと出逢った直後。まだ、ユズハの精神体が人形の器に封じられていた頃だ。
 人形の服を買ったところで襲撃を受け、ユズハの人形自体が壊れてしまったため、結局渡すことのできなかった、おみやげ。
 あれからすでに五年の歳月がたとうとしている。
「今度はちゃんとおみやげ買ってきまから。何がいいですか?」
「んとね………」
 ユズハは考えこんだ。
 『りあ』のお家に来てからというもの、全てのものに不自由はしなくなっている。いま興味があるのは本だったが、それも『りあ』の書庫にあるものを好きなだけ読ませてもらえる。
 じっくり考えこんでいるユズハの隣りで、アメリアは根気よく待っていた。
「おもしろいモノ、がイイ」
「…………えらくアバウトな注文つけてきましたね………」
 なかば呆れながらそう答えて、アメリアは枕の位置を変えて寝る体勢を整えた。
「ごめんなさい、ユズハ。わたしちょっとだけ眠ります。明日じゃなくて、今日の朝に起こしてくれると助かります」
「ン。おやすみ、なサイ」
「おやすみなさい」
 窓の外はもうすっかり明るくなっていた。

 そして目が覚めたアメリアは、王宮から消えた物が国璽だけではなかったことを知らされた―――




 四ふりの魔法剣。
 時代と共に増えはするものの減りはしないセイルーン王家の宝物庫には、出所や詳細が不明な物も多い。
 この魔法剣もそんな得体の知れない物のひとつだった。
 宝物庫に収められたのは三百年程前。しかし、魔法剣であること以外、詳しいことは何もわかっていない。
 ただの魔法剣ならば、そこらの魔法道具の店でも買うことができる。宝物庫に収められるほどなのだから、なんらかの特別な効果が付与されていて当然なのだが、そのあたりはいっさい不明のままだった。
 書庫に保管されている宝物録にも、簡単な特徴が記されているのみだった。どの剣の柄飾りにも赤い宝玉がはめこまれ、ゆえに四ふりを一組とする、と。
 国璽の他、庫から消え失せていたのはその謎の魔法剣だった。
 夜が明けて、念のためということで庫内の点検を行ったところ発覚したのである。
 最初、事態を知る少数の者は首を傾げた。得体の知れない魔法剣以外にも、幻といわれる魔道書や即位式の際に使用する王冠や王杖などが庫には多数眠っている。だが、それらはどれも欠けておらず、無くなっていたのは国璽とその四ふりの魔法剣だけだった。
 しかし、幾ら考えても剣の盗られた理由などわかるはずもなく、フィリオネルは逆にこれを利用することにした。
 いつまでの国璽が無いことを隠してはおけない。当面、国璽の必要な事柄の決定は予定していないとしても、いつかは発覚するだろうし、隠していると調査もやりづらい。そこで庫に賊が入り、剣を盗まれたことを大臣や王宮の者に公表し、その捜査の影で堂々と国璽の捜査を行うことにしたのだ。
 今現在、王宮はぴりぴりした空気に包まれている。
 悪くない、とアメリアは思った。
 平和なのは良いことだが、緊張感がなさすぎるのも困る。それに、この状態だと当分は自分の縁談どころではないだろう。緊張感うんぬんより、そっちの方が嬉しかった。
 リーデットのいるマラード公国までは歩いて十日ほど。馬車を使えば七日ほどで着くだろう。馬でもそれくらいだ。ただし、乗り潰せば五日ほどで着くことができる。
 今回は緊急を要するので馬だ。恐らく乗り潰して各街で馬を変えることになるだろう。馬車のリーデットは今日、もしくは明日には公国へと帰還しているはずだ。
 見送りに来てくれたユズハを見おろして、アメリアは笑った。
「いってきますね。お願いですからいいコにしててくださいよ」
「ン。まかされタ」
「………そこはかとなく不安ですね。シルフィールさんが来たら、しばらく留守だから手紙は預かっておいてくださいって、伝えてくださいね」
「ン。いってらっしゃい」
 その頭を軽く撫でると、アメリアは向こうで彼女を待っている調査団の方へと歩き出した。



 急ぎに急いで、五日後。王都セイルーンから南々西、沿岸諸国連合とセイルーン国境にはさまれるようにして存在するマラード公国にたどり着いたアメリアたちを、血相を変えたリーデットとその父親の公王が出迎えた。
 どういうわけか、その背後には城を出奔したはずの姉姫アセルスの姿もある。
 鏡に映したかのように容貌の似通った姉弟だが、表情の固いリーデットとは違ってアセルスはアメリアと目があうと、にっこりと笑って手をふってきた。
 乗ってきた馬がアメリアたちの手を放れて馬小屋に連れて行かれた後、アメリアや調査団の文官たちが口を開くより早く、公主が質した。
「何事が起きたのか」と。
 ただ困惑した表情を互いに見合わせるアメリアたちに、リーデットが告げた。

 ――――四日ほど前からセイルーン王宮と連絡がとれない、と。



 背後の調査団の官たちが絶句するのがわかった。
 アメリアも驚きのあまり一瞬言葉が出てこなかった。
「どういうことですか?」
「こっちが訊きたいよ、アメリア。君たちは、何か王宮に変事が起きたためここに来たんじゃないのかい?」
「たしかに変事は起きています。だけど、そんな、王宮と連絡が取れなくなるような事じゃありません」
 困惑しきったアメリアの答えにも、リーデットは固い表情を崩さない。
 すると、それまで後ろに控えていた彼の姉姫が口を開いた。
「リーデ、向こうも混乱してる。ここに馬で来たなら、セイルーンを発ったのは五日ほど前になる。きっとアメリアたちがセイルーンを出てすぐに何かが起きたんだ。まずは互いの情報を整理しないとダメだよ」
 背後の調査団の官たちがまじまじとアセルスを観察するのが、アメリアにはわかった。
 背丈はリーデット公子よりも若干低く、簡素な男物の服が描いている曲線から女性だと知れるものの、短く切られたその頭髪の色も顔立ちも、双子と言っていいほど弟と似通っている。言葉遣いもリーデットは男性にしては柔らかく、アセルスは女性にしては固いので、さほど彼らと親しくない者のなかにはうっかり二人を間違える者が多い。
 アセルスの言葉に、リーデットがうなずいた。
「そうだね。立ち話もなんだしね」
 それからしばらく経って、マラード城の一室にアメリアと調査団の文官たち、公主とリーデットとアセルスが顔をそろえた。
「レイフィメさんは?」
 リーデットとアセルスの母親にあたる人物の姿を探してアメリアが尋ねると、その場の全員が驚いた顔をした。
 アセルスがちらりと咎めの視線をリーデットに寄越した。
「リーデ、あなた言わなかったの?」
「あ、忘れてた。ごめん、アメリア。母さんは六年前に亡くなったよ」
「嘘………ごめんなさい」
「アメリアはセイルーンを出ていたから知らなくても仕方ないよ。全っ然、気にする必要はないから。お祭りの日にはしゃいでお酒飲みすぎてぽっくり逝くっていう、何だかとっても幸せそうな死に方だったしね」
 アセルスが身も蓋もなくそう言った。
 城を出たはずの公女が当たり前のように同席している事実に気づいて、アメリアは首を傾げた。
「そういえば、アセルス姉さんはどうしてここにいるんです?」
「たまたま居合わせただけ。セイルーンと連絡がとれないことが発覚したとき、城に―――」
「そ、そのことだが、リーデットがここに帰ってきたのが四日前だ」
 公主が口を開いた。以前からわかっていたことだが、この公主は気が小さい。口を開いているいまも顔が青く、卒倒しそうだった。沿岸諸国連合から分離するという英断をやってのけたは彼の父親、アセルスたちの祖父であり、彼がいままで国政を支えてきたのは公妃のレイフィメに尻を叩かれてきたからである。彼女が亡くなってからは、リーデットがなだめすかして国政を取り仕切っているのだろう。
 そのリーデットが父親の後を引き継いだ。
「すぐに無事帰国し終えた旨をセイルーンに伝達しようと思って、魔道士協会に行ったんだ」
 アメリアはうなずいた。いくら小国でも首都の魔道士協会ぐらいは、隔幻話ヴィジョンの設備をととのえている。
 セイルーンの場合は王宮に直接その設備が付属していた。
「ところが、何度やってもセイルーンにつながらないんだ」
「そんな馬鹿な。隔幻話室ヴィジョンルームには常に魔道士が待機しているはずだ」
 調査団の一人が声をあげた。
「一度は通じたよ。でも、すぐに向こう側から切られた。おかしいんだ。こんなこと有り得るはずがない。またセイルーンに行こうかと思っているときに、ちょうど君たちが来たんだ」
「アメリア殿下は、何ゆえ先触れもなしに、我が公国に足を運ばれたか」
 公主の問いに答えようとする調査団の官を手で制して、アメリアは彼らをふりかえった。
「真実を話します。彼らは犯人ではありえません」
「姫様。そんな何も詮議せずにお決めにならないでください」
「考えて。王宮と連絡がとれなくなったということは、賊が王宮を占拠したに違いありません。マラードが犯人ではあり得ない」
 アメリアの言葉に部屋の空気が凍りついた。公主の顔色が青を通り越して白くなる。
「アメリア、賊って何なの?」
 アセルスの問いにアメリアは大きく息を吸ってから、答えた。
「先日セイルーン王宮に賊が侵入し、国璽をすり替え、魔法剣四ふりを盗んでいきました。犯人は特定できず、ここひと月の間に庫に立ち入った者の一人である、マラード公国公子リーデット=アルス=セラ=マラード殿下、ひいてはマラード公国自体が犯人の候補にあがっています。わたし、アメリア=ウィル=テスラ=セイルーンはその調査に訪れました」
 リーデットが目をみはった。公主が卒倒しかけて、アセルスにその足のすねを蹴っ飛ばされてどうにか踏みとどまる。
 アメリアは無意識のうちに片耳の瑠璃飾りに手をやっていた。軽く瞑目してから、告げる。
「だけど、リーデはそんなことしないでしょう?」
 リーデットが憮然とした表情でうなずいた。
「当たり前じゃないか。なんでそんなことしなくちゃいけないんだい。ただでさえ東と西と南の沿岸諸国連合から爪弾きにされているのに、このうえ北のセイルーンにまで嫌われたら、この国はいったいどうなるのさ。昔話のコウモリの末路だけは見習いたくないよ」
 リーデットが爪を噛んだ。苛立っているときのクセはアセルスもリーデットも同じだった。
「アメリア、それにしても国璽なんて、なんでそんなものが―――!?」
 わからない、とアメリアは首をふった。
 何かセイルーンの存続にかかわる大事が起きている、間違いなく。
 そのとき不意にアセルスの呆れた声がした。
 見れば、公女は父親の公主の肩を部屋の扉の方へ押しやっている。
「父さん、部屋戻ってていいよ。アメリアはもうこの国疑ってないし、セイルーンは傾かないし、この国も滅んだりしないから。とりあえずそんな幽霊みたいな顔されたら対策立てようがないから、部屋戻って可愛い孫のために刺繍でもしててくれないかな?」
 一国の主、しかも自分の父親を平気で罵倒する姫君に、セイルーンから訪れた官たちが呆気にとられて口を開ける。
 アメリアは別のことで口を開けた。
「アセルス姉さん、孫って―――」
「いるよ。結婚したって言ったじゃない。いま三歳。可愛いよ」
 事も無げに言うアセルスの背後で、ふらふらと公主が出ていくのが見えた。ストレスが頂点に達するとおもむろに生卵を十個割って厨房で卵焼きを作りだすと教えてくれたのは、アセルスだったかリーデットだったか。
「話を本題に戻すよ。どうする、アメリア?」
 リーデットが問うた。アメリアの答えは早かった。
「セイルーンに戻ります。馬を貸してください。そして、事が落ち着くまで彼らのことをお願いします」
「アメリア様 !?」
 調査団として派遣された文官たちが、反論の声をあげた。
 彼らの中には、昨夜フィリオネルの執務室にいた侍従二人も混じっている。
「あなたたちは文官でしょう? もし戦闘になったらどうするんです」
「しかし、黙って事を見守るなど―――!」
「我らもセイルーンへ戻ります」
 口々にあがる反論に、アメリアはちょっと苦笑してアセルスを見た。アセルスがくすくす笑って、うなずき返す。
「あのですねぇ、もし王宮が何者かに占拠されていたとしますよ?」
 あまりに軽い口調に、気勢をそがれた文官たちが黙る。
「そしたら、うちの父さんやお祖父さまたちは無事だとしても、直接お仕事をする人たちが殺されていることだってあるかもしれません」
 あがりかけた反論を押さえるように、アメリアはぴっと指を立てた。
「そんな状態はいつまでも許すつもりはないですし、さっさと行って解決してきますけど、もしお仕事する人たちが減っていたら、あなたたちが頑張らなくちゃいけないんですよ?」
 あなたたちは貴重な人材で戦力で、最悪セイルーンの王宮機構となることを、暗に告げている。
 リーデットとアセルスが目配せをして、互いに表情を交わしあった。
「だから、あなたたちをマラードに残していくんです。わかりましたか?」
 反論はなかった。
 話がついたと判断したアセルスが、アメリアに声をかける。
「私も一緒に行くよ」
「アセルス姉さん?」
「城に居合わせちゃったのも何かの縁だしね。妹弟子が困ってるのをほっといたら、墓の下の師匠に怒られるから」
「よく言うよ、たまたまお土産の薔薇を取りに来ただけなのに………」
 ぼそっと呟かれた弟公子のセリフを、アセルスは聞き逃さなかった。にっこり笑って、弟の両のこめかみをぐりぐりやり始める。
「リーデ、いつの間にか偉くなったんだね。姉さんとっても嬉しい♪」
「ぞ、属国マラードどして、主国の大事は存続にかがわるから、マラード代表として行ってぐださいお姉ざま、あ痛たたたっ痛い痛いよッ」
「よろしい」
 アセルスが弟を解放する。
「………相変わらずなんですね、リーデ」
 こめかみを押さえながら、リーデットが恨めしげにアメリアを見た。
「………逆らえるわけないだろう? そんな怖いこと」
「無駄口叩いてないで、さっさと準備して。馬やら物資やらの手配はあなたの役目でしょう?」
 ついてもいない手の埃を払いながらそう言うと、アセルスはアメリアに笑いかけた。以前から女性の雰囲気の薄い人物だったが、子供を産んで三十になろうとしているいまでも、まだ少年のように見えてしまう。
「前みたいに、派手に暴れようか」
 十二年前に、この城が簒奪を狙う者たちによって占拠されたとき、たまたま居合わせていたアメリアとアセルスは、首謀者をこてんぱんに叩きのめしていた。
 その時と同じアセルスの笑みに、ふわりと胸が軽くなってアメリアは微笑む。
「はい。王宮にはユズハもいますからだいじょうぶです。後で紹介しますね」
「リーデから聞いた。君のナイトなんでしょう?」
「はあ?」
「あれ、じゃリーデが勝手にそう言っているんだ。ま、いいか。道すがら話そうか。最低でも五日はかかることだしね。リーデ、客人たちは三階の部屋でいいの?」
 姉そっくりの容貌をしたリーデットが嘆息混じりに答えた。
「いきなり話題と話者を転換するのやめてくれないかな………。いいよ、それで」
 アセルスが、困惑した表情を見せる文官たちに向きなおった。
「部屋に案内します。後についてきてくれますか?」
 あの夜に執務室にいた侍従が、アメリアをふり返った。
「どうか、ご無事で」
 それにうなずいて、アメリアは応えた。
「だいじょうぶです。もしかしたら隔幻話が故障しただけかもしれないですよ。すぐに何とかしますから。だから、ここで待っててくださいね」
 侍従が深く拝礼した。