翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔4〕

 帰宅したシルフィールを出迎えたグレイは、背後に続くアメリアとアセルスを見て目を見張った。
「アメリアさま、お帰りになられていたのですか? しかもアセルス殿下まで」
 その言葉に、三人とも驚く。
 代表して本人であるアセルスがグレイに訊ねた。
「ええと、どうして私を知ってるの?」
 聞かれたグレイは苦笑した。
「もう十数年前になりますか。殿下が体術の訓練中にアメリアさまの腕を折ったことがおありでしょう。そのとき治療した魔法医の助手をしておりました」
「ああ、あのときか。あのとき私、手加減が下手だったんだよねぇ」
 しみじみとアセルスが呟いた。うんうんとアメリアがうなずく。
「あれは痛かったですねぇ」
 シルフィールがわずかに顔をひきつらせて二人を眺めやった。
「それでシルフィール。どうしたんだ」
「王宮のことで。おじさんも変だっておっしゃってましたでしょう」
 グレイの顔がくもった。
「たしかに。アメリアさま、アセルス殿下お入りください。いまお茶でも出させましょう」




 シルフィールが香茶のカップを乗せたトレイをテーブルに置いたところで、アメリアの方が話を切りだした。
 国璽こくじと魔法剣の盗難。それによってマラードへの調査団として赴いたこと。セイルーンと連絡がとれないため、急いで戻ってきたこと。
 それを聞いたシルフィールとグレイは絶句して顔を見合わせた。
「国璽が………なんということだ」
「それで、戻ってきてみたら街はごく普通です。特におかしなところも見当たりません。シルフィールさん、王宮はどうなっているんですか?」
 シルフィールが姿勢を正した。黒髪がさらりと肩から流れ落ちる。彼女がもうすぐ神官の資格を取得できるだろうとの話をアメリアは聞いていた。
「わたくしが王宮を訪れたのは七日前です。いつも通りにアメリアさんに目通りをお願いしたのですけれど、普段顔を合わせている方とは違うの見習いの女官の方が応対に出て、いまはちょっとセイルーンから出ているとおっしゃったんです。それなら、ユズハちゃんだけでもと思ってそう伝えたら、彼女も同行しているので王宮にはいないと」
「そんな。ユズハは王宮にいるはずです」
 アメリアの顔が強張った。
 周囲にはハーフエルフと偽っているものの、その実体はエルフなどではなく魔族に近い精神生命体だから大抵の事態は平気だ。そう知っているものの、シルフィールの話を聞いたあとでは平静ではいられない。
「いつ帰ってくるのかと訊ねると、まだだいぶかかるとのことだったので、わたくしはそれから王宮には行ってません。これだけなら別に変ではないんですけれど、おじさまのほうが―――」
 グレイは持ち回りで王宮の魔法医を勤めているはずだった。
 アメリアとアセルスが彼のほうに視線を向けると、彼はひとつ頷いて話し始めた。
「何がどう変だとは上手く言えないのですが、何かこう、空気のようなものが変なのです」
「それは?」
「王宮は普通です。普通に兵や神官たちが詰めております。彼らは至って普通に役目をこなしております。何というか………その、上に行くほど違和感が強くなるのです」
 グレイの言葉が、王宮の権力機構の上位を指していることはすぐにわかった。
「私は、ときどき仕事でエルドラン陛下や殿下のご様子を伺いに参内することがあります」
「知ってます」
 宮廷の魔法医の最も重要な仕事は王族の健康管理だ。現在は国王エルドランの病状が思わしくないこともあって、王宮には常に数人の魔法医が待機しているはずである。
「ここ十日の間に二度ほど殿下と顔を合わせる機会がありましたが、ずっと表情が固く、無言のままでして………。最初は賊が入ったゆえに表情が厳しいのかとも思いましたが、どこか違うのです。何か言いたそうな表情を時折なさるのですが、結局何もおっしゃられませんし。陛下のときもです」
「お祖父さまが?」
 グレイは首をふった。
「陛下はごく普通の御様子です。陛下には一度しかお会いしていないのですが、どうもそのときずっと誰かに見られているような気がして………」
 アメリアとアセルスは顔を見合わせた。
「隔幻話が故障したという話は」
「聞いておりません」
「クロフェル公はどうしてる」
「一度遠くから見ましたが、やはりこちらも顔色がすぐれないようでした」
「クリストファ叔父さんとユズハは」
「お見かけしておりません」
「アメリア」
 アセルスが短く妹弟子を呼んだ。アメリアはそれにうなずく。
「わかってます。王宮は、おかしい。正面から帰るわけにはいきません」
 シルフィールに対してつかれた嘘。違和感を感じるという王宮の雰囲気。固い表情の父親とクロフェル。グレイが感じた視線。
 間違いなく、アメリアがセイルーンを発ったあとで何かが起きた。
「ありがとうございます。王宮に帰る前にシルフィールさんに出逢えて本当によかったです」
 礼を述べるアメリアに、シルフィールはわずかに首を傾げた。
「あの、手紙はどうします? わたくし、それを届けに行ったんですけど」
「事が落ち着くまで預かっててくれますか?」
 シルフィールの瞳が、不意にイタズラっぽい光を宿した。
「リナさんからじゃありませんけど………」
 がっちゃん。
 アメリアが戻したカップがソーサーとぶつかって派手な音をたてた。
「ください。いますぐ」
 アセルスとグレイが怪訝な表情で、アメリアを見た。



 ―――純白の一枚の羽根。そして乾燥してくすんだ花びら。
 何の花だろう。
「………ホントに道で拾ったものを入れてるんじゃないかしら」
 アメリアは顔をしかめて呟いた。
 内容を考えるだに、あながち間違ってもいなさそうだ。以前、どうでもよさげな小石が入ってたときはさすがに泣きたくなったが。まあ、ユズハがリナにあてる意味不明の手紙よりはマシかもしれない。
 封筒の中味はそれだけだった。やはり言葉は何もない。
 よっぽど手紙を書く―――離れた相手に自分の言いたいことを伝えるという行為が苦手らしい。
 それでもいい。
 きっと自分たちには『送る』ことと『それを受け取る』こと自体が大切なのだ。
 互いに忘れていないということ。二人の願いがまだ重なったままであるということ。
 それを確認するための行為だ。
「そう………わたしは、ここで待ってるんですよね………」
 アメリアがそう呟いて目を閉じた。
 自分は何を迷っていたのだろう。
 王女じゃなければ?
 そんなことは言い訳にしかすぎない。自分は王女で、間違いなくアメリア=ウィル=テスラ=セイルーンだ。枷すらも自分自身の一部。
 彼が好きでいてくれる、わたし自身。
 あの夜のリーデットの問いに、答えを返さなければ―――
「それ、舞姫の羽根?」
「うっきゃああああぁっ !?」
 背後から突然に聞こえた姉弟子の声に、アメリアは飛び上がった。
「ア、アセルス姉さんッ。下で待っててって言ったじゃないですか!」
 気を利かせたシルフィールが二階にある自分の私室を貸してくれたのである。
 勝手に上がってきたアセルスは悪びれなかった。
「だってアメリアなかなか降りてこないんだもの。これを送ってきたの? なかなかやるじゃない。それとも知らずに送ったのかな」
 アセルスの指が、白い羽根をつまみあげた。
「アセルス姉さん?」
「『翼持ちて空を舞う姫』って意味の名前の鳥の羽根。白鷺の一種だったっけ。名前の由来なんてあまり知られてないことだし、鳥自体すごくレアだから多分知らずに送ったのかな。たしかエルメキアのごく一部の地域にしか棲んでないはずだよ」
 アメリアはそっと目を伏せて笑った。
「そっか………そこにいたんですね。ゼルガディスさん」
 アメリアは羽根と花びらを封筒にしまうと、再びきっちりと封をしてシルフィールの机の上に置いた。
 階下に降りて、シルフィールに告げる。
「後で取りに来ます。預かっててくれますか?」
「もちろんです」
「お二人はこれからどうなさるおつもりですか?」
 グレイの問いに、アメリアは笑ってアセルスを見た。アセルスもそれに笑い返す。
「とりあえず、黒装束でも手に入れにいきましょうか」
 意味がわからず怪訝な顔をするグレイに、王女二人は顔を見合わせて笑いあう。
「一度忍びこんでみたかったんです。自分の住んでる王宮」
「滅多にできない体験だよね」
 ぽかんと口を開けたグレイの隣りで、シルフィールがすました顔で言った。
「なら、夜までこちらで休んでいきますか?」
 彼女も、だてにリナたちとつきあっているわけではないようだった。