翼の舞姫 (テイク・レボリューション) 〔6〕
呆然として声がでなかった。
以前見たときはきっちり結い上げられていた髪が、いまは簡単に結われ、残りがゆるいウエーヴとなって左右の肩に流れている。
濡れたような黒い瞳がきらきらと輝いていた。
周囲を大人たちに囲まれていても何ら怯む様子も見せない。
この輝きをどこかで見たことがあるような気がして、アメリアは首を傾げて、すぐに答えを見つけだした。
リナの目に、似ている―――
挑戦的で、自信に満ちた内面を映して、強く輝く瞳。
呆然としながらも、無意識のうちにアメリアは扉を後ろ手に閉じていた。こんな一幕を外の歩哨に見せるわけにはいかない。
扉を背にして声もないアメリアを見て、少女が意地悪く笑った。
「思ったより来るのが早かったわね。やっぱり、あなたが王宮ではいちばんまともな頭をしているみたい」
「あなた、いったい………」
「あたしはイルニーフェ。フィリオネル殿下にはもう言ったけど、三ヶ月前に取り潰しをくらったロード・シージェの腐るほどいる庶子の一人よ。もっとも認知されてないからただの平民だけど」
漁色が過ぎてすさまじいお家騒動を引き起こし、地位剥奪を受けたロードがいたことをアメリアは思い出した。
機先を制するようにイルニーフェが首を傾げる。
「勘違いしないでね。別に取り潰しなんかどうでもいいの。あたしが許せないのはもっと早く取り潰しを行わなかったことよ。だから玉座をもらいにきたの」
「今回の騒ぎを引き起こしたのは、あなたなんですか!?」
「そうよ」
あっさりとそういうと、イルニーフェは首にかけた革紐をひっぱりだして、その先にある国璽をアメリアに向かって軽くふってみせた。
「あたしがやったのよ。ねえ、アメリア姫さま。あたしに玉座をちょうだい」
唖然としてアメリアは目の前の少女を見た。周りの父親や重臣たちがアメリアと同じ表情をしていないのは、多分同じ事を言われて、もうとっくにその表情をした後なのだろう。
「譲位宣言書に署名をするのは別にあなたでもいいわ。こっちには玉璽があるんだもの。継承者が第一位だろうと第三位だろうと別にかまやしない」
それでは、執務机の上にのっている羊皮紙は譲位宣言書か。
アメリアが何かを言おうとする前に、イルニーフェの漆黒の瞳が苛烈な光を放った。
「言っとくけど、子供だからとか、何考えてるとかなんて聞いたらあたし、あなたのこと見損なうから。自分の年齢だって自分がやってることだって全部承知の上よ」
「あなた、いくつなんですか?」
「十二」
「十二―――!?」
絶句したアメリアを見て、イルニーフェの顔が不愉快そうに歪んだ。
「あなたも年齢でものを見る人間だったのかしら? 年を食っているからって偉いとは限らないでしょ。ロード・シージェとかそこの宮廷大臣とかが良い例よ」
ひどくその言葉は大人びている。
下手な会話はできないと直感した。間違いなくこの少女は頭がいい。迂闊にものを言えば、侮られる。
いまここで侮られたら、最後だ。
「あなたが隔幻話を?」
「そうよ。迂闊に外と連絡をとられては困るもの。幾らなんでも少数で王宮全部を乗っ取れるわけないじゃない」
グレイが言った、上の空気がおかしいというのはこういうことか。王宮の下の機構には何も気取られることなく、上のみが少女の支配下におかれている。
だが、なぜ―――?
どうやって父親やクロフェルの動きを牽制しているのだろう。
思い当たる節に、アメリアは表情を厳しくした。
「まさか、お祖父様は人質?」
「あなたはやっぱり頭がいいわ。あなたみたいな人って嫌いじゃないわよ」
「卑怯です」
くすくす笑っていたイルニーフェがスッと表情を改めた。
「こうしないと誰も十二の子供の言い分なんかに耳を傾けてくれるわけないでしょ。手段なんか選ばないわ。どんな方法を使おうと、その後で何をしたのかが全てよ―――あたしは玉座が欲しいのよ!」
気圧されていることをアメリアは自覚した。この少女の言い分と覇気に、間違いなく圧倒されてしまっている。
しかし、これほど怒りをかうような失策をセイルーンは犯しただろうか。
「どうして、セイルーンの国王になりたいんです?」
イルニーフェは小さく肩をすくめた。
「フィリオネル殿下にはもう言ったわ」
「わたしには言ってません」
黒い瞳がアメリアを睨んだ。
「じゃ、言ってあげる。あなたたちにセイルーンを治める器がないからよ。あたしならもっと上手くやれるわ。それが理由」
「あの布告を出させたのはあなたなんですか?」
「そうよ。ロードの手綱を取るのはあなたたちの仕事でしょう。なのにどうしてこの国のロードに対する制限はあんなにゆるいの。あんなんだからロード・シージェみたいに一般人に人死にが出るまで放っておくのよ!」
そんなこと知らないとアメリアは言いたかったが、言えば間違いなくイルニーフェの激昂と侮蔑をかうだろう。
「あたしの母親は普通の商家の娘だったところを、たまたま領内を行幸していたロードに目を付けられてあたしを産んだのよ。愛妾になれればまだしもマシだったんでしょうけど、単なる行幸の暇つぶしよ。この間のデーモン騒ぎのときにデーモンに襲われて死んだわ。その後あたしは異母姉に引き取られてあのロードの城で暮らしてた。認知されたんじゃなくて、同じ庶子のローゼ姉さまがロードに黙って引き取ってくれたのよ。認知されれば殺されることがわかっていたから!」
イルニーフェは大きく息をついた。
「あなたたちの定期的な監査が形骸化してなけば、すぐにあなたたちにもわかったはずよ。あの領内の異常な税率も、正妻が妾の子を謀殺しまくっていることも、収穫高を偽って国に治める税をかすめ取っていたこともね! 存続に値しない、いますぐロードの地位を剥奪すべきだってわかったはずよ。あなたたちがあと三日早く気づけば、ローゼ姉さまは殺されたりなんかしなかったわ!」
最後の言葉で、すべてが明白だった。
復讐。
小さな手が服の上から国璽をつかんだ。
「神殿に引き取られてセイルーンに来てみてわかったわ。デーモン騒ぎ以来、国の大事といえば政じゃなくて人智を越えたものの襲来で、王宮は表面上何事もないのを良いことに国内のことをほったらかして、王家の血の存続ばかりにやっきになっているんだってね。ローゼ姉さまが死んだのは、あなたたちのせいだってことがね!
あなたたちにセイルーンを治める資格なんかない。あたしならもっと上手くやれる。少なくとも報告書の裏を読もうとしない馬鹿よりはマシなはずよ。あんなロードがきっとまだ他にもいるわ。ローゼ姉さまみたいに殺されるかもしれない人がね。冗談じゃないわ。だから、あたしが何とかするの。もうあなたたちには期待しない。あたしがやる。
―――だからあたしに玉座を、ちょうだい」
イルニーフェは言葉を切って、アメリアを真っ正面から見つめた。
返答できなかった。
きっとフィリオネルも重臣たちも返答できなかっただろう。
正当な怒りを抱いた少女がここにいる。そして、この少女は自分の自信通り、きっと上手くやるだろう。
あの布告、そしてこの王宮乗っ取りの手際よさがその証明。
不意に、イルニーフェが意地の悪い笑みを浮かべた。
「ねえ、アメリア姫さま。別にあたし、あなたが結婚しないことをなじっているワケじゃないの。あなたがいつかあたしに言ったことと同じ事を考えただけ。あなた噂通り、誰かを待ってるいるんでしょう? だったら、あたしに王位を譲って、その人のところにお行きなさいな」
アメリアは目の前の少女を凝視した。
「こんなところで、頭の固いジジイどもを相手にしている必要なんかないわ。あたしに面倒くさいことは押しつけて、さっさと好きな人のところに行ったほうが得だと思わない?」
つい最近アメリアがどこかで聞いたようなことをイルニーフェは口にした。
「あなたのお姉さまは帰ってくる気配がない。できるなら王位は継ぎたくないんでしょう? 嫌な物を無理に背負う必要はないわ。欲しがっているあたしがいるのよ。あげてしまう気にならない? フィリオネル殿下は頑固なの。代わりにあなたが署名してくれないかしら?」
イルニーフェは、アメリアが笑いだしたのを見て、眉をつりあげた。
「あなた、何笑ってるの? 馬鹿にしているの?」
「いいえ」
ひっそりと笑いながら、アメリアは首をふる。
耳元で、瑠璃の飾りが微かに音をたてた。
「独りなんですか?」
「?」
アメリアの問いを理解できず、イルニーフェが眉をひそめる。
いっそ優しいとすら形容できる表情で、アメリアはイルニーフェに訊ねなおした。
「あなたは、独りでこの計画を立てたんですか?」
アセルスの尋問はあっけなく終了した。
期待してはいなかったのだが、意外なことに返答があったのだ。
その答えを聞いたアセルスの眉がひそめられる。
「クリストファおじさま。それは本当なんですか?」
男を昏倒させたのち縛りあげ、衛兵を呼んで後を任せると、アセルスはクリストファに向き直った。
「本当に、十二の子どもがこんなことを?」
「信じがたいが本当だ」
アメリアが王宮を発ってから事を起こしたということは、すなわち自分が国璽をすり替えればリーデットに疑いがかかること、第二王女の性格を把握していて彼女が幼なじみのために公国に向かうことまで計算していたことになる。
そしてあの布告。
万が一簒奪に失敗したとしても、布告は残る。ロードたちからの反発はあるだろうが、それでも最低限のバランスはとられていた。民衆は正直だ。あの布告が間違っていると、何人たりとも言うことはできない。いわばあれは最後の保険。
ここまでくると、もはや頭が切れる、まわるという次元ではない。
すさまじい思考回路を持った子供だ。
「すごい子。いいね、妹に欲しいな。でもそれが本当なら―――」
アセルスは男が連れて行かれた回廊の先に視線を注いだ。
「おかしいな」
呟いたそのとき、くいくいと服の裾を引っ張られて、アセルスは視線を落とした。
ユズハが朱橙の瞳でジッと彼女を凝視している。
「りーで?」
「違う違う。私はアセルス。リーデの姉だよ」
「りーで、じゃナイ?」
「似てるけど違うよ」
「………じゃ、あす」
「………ま、なんでもいいけど」
肩をすくめたアセルスに、クリストファが訊ねた。
「アセルス殿下がこちらに来たということは、アメリアも―――」
「一緒です。いまは別行動中ですが。おじさまたちこそ、どうしてこんなところに? アメリアから話を聞く限り、非常に珍しい取り合わせだと思うんですが」
クリストファは苦笑したようだった。
「この子がいると、いささか監視の目をごまかせるものでね。兄上に言われて宮廷内の様子を伺っていたところだよ。ところで何がおかしい?」
アセルスの表情が厳しくなった。
「おそらく、二重に雇われているんじゃないかと」
「どういうことだ?」
「依頼主の情報はああいった裏稼業の人間にとっては重要機密です。信用問題にかかわりますから。腕が良ければ良いほど、そのあたりのモラルは高い。見たところ、一流とはいかないまでもそんなに悪い腕じゃない。聞いた話じゃ、他にも七、八人ほど雇われているという。集団行動ができるくらいの裏稼業の人間が、いくら十二の小娘だといえ、そう簡単に雇い主のことをしゃべるとは思いにくいんです」
クリストファはうなずいた。
「ならば、その子の他に別の人間にも彼らは雇われていて、そっちのほうが優先事項だということだな」
アセルスは頷いた。
「ええ。だからあんなに簡単に国璽の場所と、その子の現在の居場所を白状したと思うんです。単に命が惜しいだけとは思えない。
―――そういえば、何を揉めていたんです?」
「兄上の執務室に来るようにと言われてね。兄上の命でうろついているのだから、兄上が私を呼び戻すはずがない」
「その子は執務室にいると言っていましたね」
アセルスはレグルス盤を起動させ、シルフィールにフィリオネルの執務室へと行くよう指示を出した。アメリアの話を聞いた限りでは、黙って行かせたら卒倒されそうな予感がしたので、フィリオネル本人もいることに関しては充分注意を喚起しておく。
「私たちも行きましょう。あっさり私に白状したことから考えて、その子が用済みになった可能性が高い。執務室にはアメリアが行ってるはずだけど………急がないと」
アセルスは中庭に目をやった。枯れかかった薔薇園がライティングの明かりに照らされている。
「もう、薔薇は過ぎたんだね………」
残暑は去り、風は涼しさを増している。
アセルスはユズハとクリストファをふり返った。
「急ぎましょう」