夢飾り (ツイン・ラピス) 〔1〕

「さて、ゼル。悪い知らせとさらに最悪な知らせ、どっちから聞きたい?」
「同時に言え」
「言えるかあああああっ。あたしは頭の後ろにも口があるわけ !?」
「ならどっちでもいいからさっさと答えろ。どうせ両方とも関係してるんだろう?」
「………まあね。じゃあ、さっさと言うわよ。一、アメリアが結婚する。二、それでもイフェルが納得してくんない。さあ、どうしようか?」
「………お前は、どっちの方を最悪に定義づけてるんだ?」
 ゼルガディスの薄い水色の目が光った。
「俺にはどっちも悪い冗談のようにしか聞こえん」
「ようするに、どっちも最悪ってわけね」
「どっちにしろ、何とかするんだろ?」
 割って入ったガウリイの声に、リナとゼルガディスは声を揃えて答えた。
「当たり前だ(でしょ)」




「ねー、りあ」
 寝る前に、ユズハが突然アメリアに呼びかけた。
 枕を叩いて整えていたアメリアは、きょとんとしてふり返る。
「はい?」
「りあ、どこ行くの?」
「…………」
 枕を叩く手が止まった。
 アメリアは少しだけ泣きそうな顔になって、ユズハの両頬を手で包みこむ。
「さあ。どこに行くんでしょうね?」
「ゆずは、一緒?」
「一緒に来てくれますか?」
 ユズハがぷうとふくれた。
「行クの。行クったら、行くの。ヒドイ」
 アメリアは笑った。
「ごめんなさい。そうでしたね」
「でね―――」
 ユズハの小さな手が、眠っている白ネコの尾を引っ張って引きずり寄せた。
「おるはも、一緒?」
「………ユズハ、可哀想ですから寝かせてあげなさい」
「ン」
 こんちくしょう、と言いたげな目でユズハを見ていた白ネコは、解放されると長椅子のところまで避難して、そこで丸まった。
「オルハは………どうなんでしょう。に帰しますか?」
 もともと野良猫か、どこかの家から出てきた家出猫だろう。
 ユズハが首をふった。
「ダメ」
「ユズハ?」
「ねこの森には帰れナイ、の」
 アメリアは目をしばたたいた。
「それって―――」
「あっタ。書庫に」
「ですよね」
 それはアメリアが幼い頃、母親に寝る前に読んでもらった絵本の名前だった。
 絵本の内容とユズハがいま言いたいことは多少ずれているが、それでも何となく言いたいことはわかる。
 一度飼ってしまったからには、もうどこにも行かせられない。
 オルハは、すでにユズハとアメリアを自分の同棲人だと認めてしまっている。
「オルハにまかせましょう」
 どこか行こうとするならそれもよし。ダメなら――ユズハ曰く、ねこの森には帰れないのなら、イルニーフェと一緒にマラードへ預けるか、シルフィールに。リナたちにでもいい。
「ン」
 おとなしくユズハはうなずいて、それからどこからともなくその問題の絵本を取り出した。
「読んデ」
 アメリアは苦笑して、ユズハと一緒にベッドの上に寝そべった。
 柔らかなライティングの光が、白いシーツに影絵を描き出す。
「………ある日、街にすんでいる猫に、ふるさとのねこの森から手紙が届きました―――」
 ユズハは枕の上に顎をのせて、ジッとアメリアの声を聞いている。

(大好きなあかいきのこや、なつかしい森の景色。思い出したら、ねこは泣きたくなりました)
(だけど仕方のないことなのです。ねこの森には帰れません。なくした夢はもう戻らないのです)

「なくしたの?」
 ユズハがその朱橙の瞳でアメリアを見た。
 射抜くような目だ。意図せずして罪人を罰する目。罪の所在を明らかにする、澄んだ目だ。
「どうでしょう」
 アメリアはひっそりと笑って本を閉じた。
「ねこの森にいたときの夢を、ねこはなくしてしまったんです。その代わり、出てきた街で別の夢を見つけたんですよ。だから、森には帰れないんです」
「二つは、ダメだったの?」
「ダメだったんでしょうね」
 アメリアは寝転がって仰向けになり、顔の上で本を開いた。ページをめくるたびに、古い紙の匂いがした。
「………二つ、かなえたかったんですけどね」
 祖父が恨めしかったが、責める気にはなれなかった。
 民間人だったアメリアの母親を政変に巻きこんで死なせてしまったことを、父親のフィリオネル以上に気に病んでいた人である。
 同じてつを踏ませたくないという、孫を思うその気持ちはよーくわかるのだが。
 また、知らない相手よりは知ってる相手のほうがいいだろうという、できる範囲での心配りをしたうえでの結婚相手の選択もよーくわかるのだが。
「………勘弁してください。お祖父さま」
 もう少し、その孫本人の気持ちも察してほしいものである。
 息子以上に、孫娘が頑固であることを知るべきだ。
「ねえ、ユズハ」
「なに?」
「家出って、あまりたのしくありませんね」
「よくわからんぞよ」
「………また、変な言葉を」
「ぞよーん」
「…………………………寝なさい」
 アメリアはユズハに頭から布団をひきかぶせた。
 もぞもぞと動きながら、ユズハがひょこっと顔を出す。
「ゆずは、りあとずっといっしょー」
 妙に間延びした声でユズハが断言した。クスッとアメリアは笑う。
「ありがとうございます」
「でね。りあはね、ぜると一緒なの。違ウ?」
「…………」
 唇が、自然と笑みを浮かべていた。
「違いません―――」
「ン。満足。寝ル」
 ユズハは再び夏掛けのなかに潜行していってしまった。
「いったい何が満足なんです」
 呆れたようにアメリアは呟いて、自分も枕に頭を乗せ直した。



 リナはクローラーを睨みつけていた。  それに対するクローラーの方は表情こそ変わらないものの、一歩も退く気がないことが態度と超然としたその紫の目からわかる。
 二人から離れた部屋の隅ではユリシスが二人の口論の行方を見守っていた。すでに昨日も行われた言い争いで、これで二度目だ。
 魔法装置と資料に埋め尽くされた部屋は窓もないため非常に暗い。〈生命の水〉の満たされた筒状クリスタルだけが、かけられたライティングの光によって淡く照らし出されていた。
 見慣れた光景だったが、何度見てもあまり快いものではない。
 リナがどうしてわからないのと言いたげな表情でクローラーを見た。
「わかる? ここでやらなかったら何の意味もないことなのよ」
 ユリシスから見ても、リナの言い分は正しかった。
「わかっている。しかしダメだ。私には私の魔道士としての自負と責任がある。悪いが君の案は聞けない。それにだ、これは君が私に言うべきことではない」
 クローラーが頑固に首をふる。
 この間からずっとこの調子なのだ。
 互いの意見は平行線をたどり、いっこうに解決案が見えてこない。
 彼女のほうのこだわりも、同じ研究者としてユリシスにはわかる。一度手をつけた仕事は完璧に仕上げなければならないという、強迫観念にも近い自負は理解できる。
 結果として傍観の姿勢をとっているのは、どっちの言い分に味方をするべきかがわからず、また、彼なりの哲学として女性同士の争いに首を突っ込むのは自殺志願者だけであるというものがあるからだ。
 リナは大きく息をはいて、お手上げとばかりに両手を肩の上にあげた。
「だそうよ、ゼル」
 二人の会話を見守っていたユリシスが盛大に顔をしかめた。
「いるならいるというべきだ。インバース」
「残念ながら、たったいま気がついたのよ。いつ来たの」
「さっきだ」
 開けはなされた研究室のドアに体を預けたゼルガディスが鋭い視線でクローラーを見ていた。
「やってもらいたい。本人がいいと言っている」
「ダメだ。却下する。私は賭事は嫌いだ」
「好き嫌いの問題じゃないだろう。あんたの魔道士としてのプライドは評価するが、それはこの際どうでもいいんだ」
 ゼルガディスの方はリナよりも容赦がなかった。だがクローラーは一歩も退かず、傲然と言い放った。
「私はリナから、あなたの体に合成されている邪妖精と石人形の組成の分離を引き受けた。引き受けた時点で私が最高決定者だ。引き受けたからには確実に成功させる。確立の低い操作を行ってすべてをダメにするのは愚の骨頂だ」
 彼女はリナやゼルガディスとは違って、純粋に研究だけを行っている魔道士だ。気迫や肉体能力面では一般人と変わらない。問答に焦れたゼルガディスがわざとぶつけている殺気に何ら怯む様子を見せないのは驚嘆に値した。静観していたユリシスの方がじっとりと汗をかいている。
「ならば言うが、そこまでされても、いまやらなければ意味がない。あんたは結局そうやって俺を殺すことになる」
 自分の黒髪を一房つまみとって、ゼルガディスは続けた。
「中途半端なのは、合成獣だったときより最悪だ。髪の色や顔だけ元に戻されるのはぞっとしない。いまここで返事を出せ」
「否と言ったら?」
「あんたたちに預けたオーブとあんたたちの研究成果を奪ってよそに行く。容赦はしない」
「ずいぶん乱暴だな」
「答えろ」
 一触即発の空気が研究室に流れた。
 クローラーが不快げに眉をひそめて答えようとした、その瞬間。
浄水結(アクア・クリエイト)
 派手な水音と共にゼルガディスが頭から水をかぶる。
「頭冷やしなさい、ゼル。一般人に殺気ぶつけてんじゃないわよ!」
 ゼルガディスが抗議の声をあげる前に、リナは彼の背中を押しやって研究室から閉め出した。
 リナ自身が出ていく前に、クローラーをふり返る。
「イフェル、お願いだから今回だけは譲歩して。ひと二人の人生がかかってんのよ。あと大きな声では言えないけどセイルーンの王位継承問題もね」
「見当しよう」
 そう言ったのはユリシスだった。
 リナは軽く眉をあげると、何も言わずに研究室を出ていった。
 クローラーが嘆息して首をふる。
 その彼女の肩をユリシスは叩いた。
「君も頭を冷やしたほうがいい」
「失礼だな。私はこのうえもなく冷静だ」
「とてもそうは見えない。クローラー、君はいまかなり怒っている。同時に、かなり迷っているだろう?」
 クローラーは無表情にまばたきして研究のパートナーを見つめ返した。
「ユーリス。君のその冷静で的確な考察は得難い能力だが、時としてそれはかなり不必要な代物だと私には思える」
 訳するなら、突っ込んだこと聞いてくるなこの無神経、である。
 ユリシスはわずかに顔を歪めただけで何も言い返さなかった。
「………私は間違っているのか?」
 しばらくしてから淡々とクローラーが訊ねた。
「確実に、何があっても彼を人間に戻したい。そう思うのは間違っているのか?」
「間違ってはいない」
 ユリシスは短く肯定した。
「しかし『何があっても』というのはどうかと思う。彼が人に戻る意味をなくしても、君は彼を人間に戻すのか?」
「よく、わからない」
 いままで慎重に避けてきた部分にユリシスは入り込んだ。
「彼は君の子犬ではない。彼なりの元に戻りたい事情を考慮するべきだ。君のエゴだけで元に戻されても嬉しくはないだろう」
 弾かれたようにクローラーが顔を上げてユリシスをみつめた。
「非常に不愉快だ。撤回したまえ」
「非礼は詫びよう。しかしクローラー、君は意地をはっているだけだ」
 紫の目が危険な光を帯びた。
「ユーリス、君はいつから私のカウンセリングをするようになった?」
「落ち着け、クローラー。だいたい、私と君が揃っているんだ。ついでに赤法師のオーブもだ。これで成功しないほど君の腕は落ちたのか?」
「…………ユーリス」
 クローラーは片眼鏡をはずすと、目を細めてユリシスを見た。
「当分、私が君を好意的に解釈することは難しいと思いたまえ」
「承知している」
 ユリシスから視線をそらすと、クローラーは部屋の奥の〈生命の水〉の満たされた筒状クリスタルを凝視した。
「父に………」
「…………」
「父に飼っていた子犬を鳥と合成させられたときほど、哀しかったことはない」
「…………」
「非常に不本意だとだけ伝えておいてくれ。私は組成の解析にかかる」
「………わかった」
 ほんの少しだけ、ユリシスは苦笑した。
「伝えてきてから私も手伝おう、クローラー」
 クローラーは思い出したようにふり返った。
「ときに、ユーリス。私のフルネームを覚えているか?」
「………? クローラー=イフェル=シオンだろう。それがどうした?」
「やはりな」
 クローラーはきまじめにうなずいた。
「私の名前を『クロウラー』(這いずる虫)と呼び損なわないのは非常に嬉しく思っている。だが、シオンの発音が間違っているな」
「SIONNEじゃないのか?」
「違うな。CIONだ」
「それはすまない。直そう」
「そうしてくれ」
 彼女なりの和解の合図だということがわかるくらいには、彼は彼女の不器用さ加減を知っていた。



 仮縫いから三日ほど経ってから、シルフィールがリナからの伝言を伝えてきた。
 さすがにリナと直にウィジョンでやりとりできるような環境では、お互いにない。宮廷大臣はリナたちを結婚式の最大の障害だと思っているらしく、それはもう迂闊にヴィジョンに近づけないのである。
 まさか結婚式の招待状もださせないつもりだろうかとアメリアは呆れたが、まあとりあえず黙っておいた。
 今回のものは、シルフィール経由で出した手紙の返事がシルフィールにヴィジョンで伝えられ、それをいまアメリアが聞く形になっている。
「ヴィジョンが繋げるようでしたら、ゼフィーリア王都の魔道士協会のヴィジョンに。もし無理でしたら、わたくしが口頭でお伝えするように頼まれています」
 心配そうな表情で、シルフィールがそう告げた。
「口頭で、お願いします」
 シルフィールがアメリアを見据えた。
 アメリアは黙ってうなずきかえす。
 やがて、ふっと吐息をつくとシルフィールは口を開いた。
「なら、お伝えします。"三ヶ月。あたしを信じて"です」
「…………」
 アメリアの手を握ったユズハが、その手の主を見上げた。
 不意にその手が離れて、耳元で瑠璃の飾りに触れる。
「―――信じます」
 シルフィールは微笑んでうなずくと、王宮から退出していった。