たからもの(オンリー・ワン・ワールド)〔5〕

 ―――結局、リアのマントは明るい水色になった。
 リア自身は黒がいいと主張したのだが、店の主も縫子もこんな小さな可愛い子が黒だなんてとんでもない勿体ないと口を揃えて反対したのだ。母は何色でも良かったようだが、仕立て屋や古着屋にリアを連れていくと店員が夢中になるのはいつものことなので、適当にあしらった結果、こんな色になってしまった。リアは不満だったが、セイルーンに帰ったら母親がマントの裾に魔道銀(ミスリル)で飾り縫いをしてくれると約束したので、それで機嫌をなおした。
 そしてただいま購入中なるはブーツなのだが、母が値切り交渉に夢中になってしまい、父とリアは店の前でふたり揃ってぼんやり日向ぼっこをする羽目になっている。母は戦士で、魔道士で―――間違いなく商売人でもある。
「とーさん。とーさんとかーさんは今日はどこ行くの」
「んー? 昨日リナから聞かなかったか?」
 のんびりした声で父が逆に聞き返してくる。やわらかくてほんわりしたその声は頭上からだった。リアはひとりで座れると主張したのだが、石段に直接座るとお尻が冷たいだろうと膝の上に抱きあげたまま、いっこうに下ろしてくれない。リアを抱きかかえたまま、顎をリアの頭の上にちょこんと乗せているので、しゃべる振動で何だかつむじのあたりがくすぐったい。
 父に抱きあげてもらうのは大好きだ。母はもう抱きあげてくれないが、父はまだまだだいじょうぶなので、それは嬉しい。大きな手は決してリアを落とさない。だが、ときどき小さい子みたいで恥ずかしいときもある。年が明けたらリアは七歳になるのだ。本当はもうとっくの昔に抱っこは卒業していないといけない。
「お城に行くってきいたよ?」
 リアは家並みのあいだから、ちょこんととんがりを覗かせた城の尖塔を指さした。普通はセイルーンの旗と領主の旗の二つがひるがえっているはずなのだが、尖塔の先で秋の風を受けているのはセイルーンの紋章だけだ―――ここは直轄領なのだ。街の真ん中にある城は灰色の石で組まれた何の変哲もない地味なつくりで、王宮を見慣れたリアにはとてもこぢんまりとして見える。
「おー、それはおれも聞いたぞ」
「お城行ってなにするの?」
「それは知らん」
「………………とーさんのくらげ」
 リアはすっかりむくれて足をじたばたさせた。こら暴れるなと父の手がリアを抱きなおす。あんまりひょいひょい扱われるので、父に抱きあげられていると自分が羽毛か何かになったような気分になる。このまま風に乗って飛べるんじゃないかという気すらした。
 それにしても、これで父はどうやってひとりで遠出できているんだろうか。今回は比較的近い街が目的地だったが、以前は歩くと十日はかかるラムリア・シティまで出かけていったこともある。弟がお腹にいた母は、父が迷わずにちゃんと帰ってくることは疑っていなかったようだが、受けとる予定のものをいくつか忘れて帰ってくるんじゃないかと本気で心配していた(一応ちゃんと全部持ち帰ってきた)。………父には母がいつもついててあげなくてはダメな気がする。
 おのれの体にまわされた太くて大きな腕に両手をのせて、リアは父を見あげた。
 うん? と、父が顎をひいて見下ろしてくる。髪がぱさりとこぼれてリアへとふりかかった。下手をすると母よりも長いと思われる髪は、リアと同じ色をしている。髪質のせいか父のほうが若干リアよりも色味が濃いが、光に透けると鋳造したての金貨のようにきらきら輝くのは一緒だ。
 夏の空の色をした双眸はとても涼しげでひんやりしているのに、目もとの印象は優しげでやわらかい。王宮勤めのメイドや(イルニーフェ以外の)女官たちが口を揃えて絶賛するので、とても顔立ちが綺麗なのだろう。生まれたときから見慣れているリアにその実感はないが、父の顔立ちや雰囲気が他の男の人と違うことはわかる。
 リアは髪の癖と目の色以外は父親似なのだが、父は当然ながら年の離れた男の人なので、顔の輪郭などがリアとは全然違っていて、どのあたりが似ているのか詳しいことはよくわからない。だが、お父さん似ねと言われるのはとても嬉しい。―――もっとも、お母さん似ねと言われても、同じぐらい嬉しいだろうなとも思う。
 とにかく父は大きなひとだ。周囲の人々よりも背が高いのが、ぱっと見てすぐにわかるぐらいだから、当然手も足もひとつひとつがリアには大きくて温かくて、抱きあげられているとものすごく安心できた。
 そしてまた父のその大きな体のなかには、途轍もない発条(ばね)や力が秘められていることもリアは知っている。剣を手にした父はリアにはとても目で追えないような速さで動く。母やリアを護って戦うときの父は、父の形をした別の何か―――目には見えない大きな力や疾風のように思えることがある。母は母自身が秘めている力と周囲に集わせる力の色彩差によってその輪郭を鮮やかに浮かびあがらせるが、父は母とは違って内側にある力がごく自然に父の形をとって、ただ静かにそこに在るのだ。そんな気がする。
 父も母も綺麗で強くて格好良くて、リアの自慢の両親だった。
 ふと、大地が小さくぐらりと揺れた。十日ほど前の地震を含めて、これで二、三回ほどだろうか。大きいやつはすでに来ているので、そのうち自然に止むだろう。
「またゆれたね」
「そうだなあ」
「かーさん、おそいね」
「………そうだなー」
「―――お待たせー。やー良い買いものしたわ」
 母が白く染めた山羊革のブーツを手にようやく店から出てきたのは、太陽が尖塔のてっぺんにかかろうとするころだった。



 いったん宿に戻り、昼食を食べてから城に出かけていった父と母は比較的すぐに帰ってきた。
「―――さて、リア。あたしとガウリイはこれからちょっと遺跡の調査してくるけど、帰ってくるまで、ひとりで宿で待てるわね?」
 母にあらためて念を押され、もとより宿で留守番をしていたリアはすぐに勢いよくうなずく。遺跡の冒険にちょっと興味はあるが、母はリアを連れていってもだいじょうぶなところには、リアが何も言わなくても一緒に行くかどうか尋ねてくれるので、言わない今回はダメなのだろう。リアだって、足にマメができているのに遺跡に行きたいなんてワガママは言わない。足手まといは嫌なのだ。
「今日はちょっと様子見だから、一応晩ご飯までには戻ってくるつもりよ」
「うん、リアまてるよ」
 そう言うと、父の大きな手がわしわし髪の毛を撫でていく。
「宿の人にはあんたのことお願いしてあるから、何かあったら宿の人に言いなさいね」
「うんわかった。えっと、かーさんたちが出かけているあいだ、お散歩に行ってもいい?」
「いーわよ」「だめだ」
 母と父は互いに顔を見合わせた。
「別にいいじゃない。遠くにいかなけりゃ、宿の周囲を散歩するぐらいしたって。この子、方向感覚もたしかだから、迷子になんかならないわよ」
「初めて来る街を子どもひとりで歩かせるなんて危ないだろうが。誘拐でもされたらどうするんだ」
「………あのねえ。そんなこと言ってたら、いつまでたってもひとりで外歩けないってば」
 またはじまった。おとなしく椅子に座りながら、早く結論がでないかなあとリアは思った。たいていリアが何かしたがると母は二つ返事でオーケイし、父は二つ返事でダメ出しする。そこから二人の押し問答がはじまり、リアのお願いの内容やその他いろいろな条件によって、母が勝ったり父が勝ったりするのだ。
 三ヶ月ほど前にリアが高熱を出してから、父は輪をかけて過保護になった気がする。たしかにあのときはベッドから起きあがることもできなかったが、いまではもうすっかり元気だし、怖い夢を見ることもなくなった。だから心配しすぎだと思うし、母もそう言っているのに。
 しばらく経ってから、ようやっと父のほうが折れた。リアは内心とびあがって喜びたいのを我慢する。外は真っ青に晴れていて、刷毛ではいたような薄雲がのんびり広がっている良い天気なのだ。ぴかぴかのブーツであちこち歩いてみたかった。
「じゃ、リア。約束だけど―――」
「えっと、フードをとらない。攻撃呪文をつかわない。あんましとおくへ行かない。迷子札をはずさない。だよね?」
 前々から言われていることをリアが復唱すると、母は目を細めて軽くうなずいた。
「あと、知らない人から声をかけられても絶対についていったり、部屋に入れたりするんじゃないぞ」
「わかってるもん」
 もう何度も言い聞かせられていることをまた言われ、リアは少しふくれた。とーさんと違ってすぐに忘れたりしないもん。一度言われたことはちゃんと憶えている。
「ほんとはあたしも、あんたが部屋でおとなしくしててくれるにこしたことはないんだけどね。もし部屋でおとなしくしてて、昨日おしえた理論から呪文をひとつ作れたら、ご褒美にリアの好きな呪文ひとつだけ教えてあげてもいいわよ?」
「ほんと?」
 思いがけない好条件に、リアはぱっと顔をあげた。横で聞いていた父のほうが慌てる。
「こら待てリナ! ンなこと言って竜破斬なんて言いだしたらどうするんだっ」
「あのねー、ガウリイ。そもそも攻撃呪文は教えらんないんだってば。丸暗記で炎の矢ってだけで冷や汗モンなのに、ンなことやったってバレたら、あたしが魔道士協会から何言われ―――」
「あのねリア、翔封界(レイ・ウイング)おぼえたい!」


 途中で言葉を遮られた母上様は、笑顔できっぱり言いきりました。
 

「却・下」
「えええぇぇ〜」
「あんたがちゃんと泳ぎと水気術(アクア・ブリーズ)を習得するまで、翔封界は絶対ダメ。浮遊(レビテーション)唱えられるんだからそっち使いなさい」
「かーさんのケチ!」
「何か言ったのはこのおくちかなー?」
 かーさんのほうこそ、好きな呪文って言ったのに!
 リアが何か言う前に、にっこり笑った母の手がリアのほっぺたをぐいとつねった。やわらかい頬はパン生地のように、むにっと伸びる。リアがじたばた暴れだすと、母はぱっと手を離して「じゃ、良い子でね」とひとこと言い残し、扉のほうへと向かった。母の身のこなしはとても軽くて、そしてあっさりしている。リアのことも、父みたいにかまいすぎるほどかまってくれるわけではない。置いていくことは決してないが、いつだってリアが追いつくのを待っている。それなのにリアが懸命に追いついてきても、また先へ行ってしまうのだ。
 ひりひりする頬を押さえながら、リアは急にくやしくて泣きそうになった。さっきよりまでの楽しかった気分がどこかに吹き飛んでいく。散歩に行ってもいいと言われているのに、ちっとも嬉しくない。
 父は困った顔で、母の背中とぶすくれているリアを交互に見ていたが、やがて溜息ひとつついてリアへと手を伸ばした。
 両手でリアの頭を包みこんで引き寄せると、こつんと額をあわせる。
「じゃ、行ってくるぞ?」
 腹の立っているリアはむすっとして何も言わなかった。だが父は額をあわせたまま、ずっと微笑んでリアを見つめている。大好きな青い瞳がリアが何か言うのを待っている。
「………いってらっしゃい」
 しぶしぶそう口にすると青い瞳が笑って、それからくしゃっと頭を撫でられた。



 父と母が出かけてからしばらくのあいだ、リアは部屋でふてくされていた。行儀が悪いのを承知でベッドに寝転がり、ごろごろと転がる。王宮でユズハがよくやる仕草だ。ユズハの場合はどこまでも転がっていって床にダイブしたり、シーツで芋虫みたいにぐるぐる巻きになっては、うごうごしていたりする。前はリアも一緒にやった。………芋虫ごっこはちょっと面白かった。
「かーさんのケチー、イジワルー………」
 テーブルの上に置かれた本にちらりと目をやるが、すぐに視線を逸らす。何か呪文をひとつ組み立てたら、好きな呪文を教えてあげるわよ―――と母は言ったが、いちばん覚えたい翔封界がダメだと言われたら、あとはもう特にない。攻撃呪文は最初からリアもダメだとわかっているし、そうなると実はライティングや浄水結(アクア・クリエイト)治癒(リカバリィ)地精道(ベフィス・ブリング)などの補助系の術はもうほとんど(丸暗記で)習得してしまっているので、教えてもらえる呪文は限られてくる。母は最初からそれを承知で「好きな呪文をひとつ」などと言っているのだ。意地悪だった。
 むくれながらリアが、ごろんっと寝返りをうつと、その拍子に開け放たれた窓から青空が目に飛びこんできた。
 弟の目の色そっくりの、ちょっとだけ薄い青。刷毛ではいたような幾筋もの雲がふわりと広がり、小魚の群れみたいなたくさんの雲が青い天の海を泳いでいる。日の光はまだ高い位置にあり、ほかりとした暖かい薄金色をしている。
 太陽の光と白い小魚の群を眺めているうちに、リアはだんだんイヤな気持ちがなくなってきたことに気づいた。きらきらした光と風がリアを外へと呼んでいる。まだ遊べる。まだまだ遊べる時間だよ。そんなところで何をしているの。
 ―――鳥が、ついっと窓枠で切りとられた青空を右から左へ横切った。
 ぱっとリアは跳ね起きた。お散歩に行こう! 呪文なんかもうどうでもいい!



 身支度をしてフードをかぶると、リアは部屋を出た。吹き抜けになっている一階の食堂をぐるりと囲むように、二階は廻り廊下になっている。手すりに近寄って下を覗きこむと、受付のところで男の人が眠そうにひとつあくびをするところだった。昼下がりのいまは、ちょうど食堂も空き時間でテーブルには誰もおらず、ウェイトレスがのんびりと店内の掃除をしている。
 母が選んだのは大通りから一本はずれた通りに看板を掲げたお城にほど近い一軒で、比較的大きくて上等の部類に入る宿だった。旅慣れた両親が選ぶ宿はランクが上下することはあっても、ほとんどはずれがない。―――リアが憶えている限りでいちばんヒドい目にあったといえば、祭が近くて宿が満杯でどこにも泊まれず、渋々泊まった宿の食事がえらいマズかったうえに部屋にはゴーストが出たぐらいである。初めて見るゴーストにリアは喜んだが、烈閃槍(エルメキア・ランス)一発で幽霊を撃退した母は、翌朝ものすごい勢いで宿の主に文句をまくしたてていた。ゴーストはまだしも、料理がマズかったのが母をあれだけ怒らせた原因だと思う。
「―――おや、お留守番じゃなかったのかい。リアちゃん」
 受付の青年はリアの姿を認めると、にっこり笑ってそう言った。どうして名前を知っているのかと首を傾げ、すぐになあんだと思いだす。母が昨日、宿帳に名前を書いていたではないか。
「おてんきがいいから、お散歩しようと思うの」
「そうかい。迷子にならないよう気をつけていっておいで」
「えっと、おにーさん、ここの宿のひと?」
「そうだよ。トマスって、ここの宿の息子だけど?」
「じゃ、トマスさんいってきます。おねえさんもー」
 律儀に手をふって、リアは入口の扉をあけた。
「か、可愛い………っ」
「うわー俺、クソ生意気な弟じゃなくてあんな妹が欲しかったー!」
 テーブルを拭いていたウェイトレスと受付のトマスは、しばらく樫の扉を見つめたまま仲良くとろけていた。



 宿の受付の青年トマスにクソ生意気な弟と評された少年は名をマークといい、もうすぐ十一歳になる。
 近所の子どもたちの中心的存在で、親の言うことは聞かないし手伝いはさぼるし頻繁にイタズラもしかけるため、おとなたちからは―――特に菓子屋と雑貨屋からは目の敵にされているが、面倒見がよくて気前がいいので、年下の子どもたちからも人気がある。手のかかるちびっ子を持った親たちからは、彼がまとめて遊び相手をしてくれるので、ひそかに感謝されてもいた。
 そのマーク少年は、昨日の日も暮れた時分に親が経営している旅籠にやってきた泊まり客の女の子が、気になってしかたがなかった。
 若い女魔道士と背の高い剣士に連れられてやって来た七つぐらいのその子は、そりゃあもう、いままで見たことがないぐらい、お姫さまみたいにキレイで可愛かったのである。親子連れが昼過ぎに宿入りをしていたら、遊びほうけていて気づかなかっただろうが、彼らがやって来たのがちょうど店のかき入れ時と時間をずらした家人の夕食の時間帯だったおかげで、泥まみれの腹ぺこで家に帰ってきたところだったのだ。
 夕食は別の店ですませてきたらしく、部屋の鍵だけ受けとった母親の横でその子が眠そうに目をこすりながら被っていたフードを脱いだ途端、受付にいた母親の顔がとろけた。宿帳を見ながら、リアちゃんっていうの可愛いねえなどと、いままでマークが聞いたこともないような甘い声を出して声をかけていたので少々面白くなかったが、母の気持ちはよくわかった。
 マークだって話しかけてみたかったのだが、視線がその子が釘付けになったせいで手元がおろそかになった。片づける途中の皿を盛大にひっくり返して父親から拳骨をくらい、せっせと床の掃除をして顔をあげたときには、親子連れは部屋へと引きあげたあとだったのだ。
 そして本日―――朝からその子が両親と連れだって出て行ってしまったので、マークは一泊だけかとがっかりしたのだが、親子は昼には戻ってきた。その子のマントとブーツが真新しくなっていて、買い物に行ったのだとわかった。マークの母がその子の空色のマントを似合う似合うとさかんに褒めていて、マークも内心まったくその通りだと思ったが、その子はマントよりも折り返しのある白いブーツのほうがお気に入りらしかった。
 そして現在、マークは店裏で皿を洗いながら耳をそばだてている真っ最中である。
 こんな秋晴れの天気の良い日には、駄賃をやると言ってもお使いになぞ行かず、飯をかきこむなり遊びに飛びだしていくはずの困った次男坊が、今日に限ってせっせと店の手伝いをしているので、両親は雪でも降るんじゃないかと相当怪しんでいたが、マークは目も耳もしっかり働かせながら店の手伝いをしているのだ。
 昼食後に栗毛の魔道士姿の母親のほうが、彼の母親に何やら話をして手間賃を渡していたことも、マークはしっかり見聞きしていた。どうやらあの子だけ宿に残して、二人とも出かけるらしい。そしてその通りに、二人とも連れだって宿から出ていった。あの子の姿はない。
 しばらくすると、兄のやにさがった声と玄関の扉が開く音が聞こえ、少年は前掛けを引っぺがすと裏口から外に飛びだした。背後から仕事を途中で放りだしていく息子に対する父親の怒鳴り声が聞こえたが、ゴメン今日はもう手伝い終わり! などと身勝手なことを叫んで、すばやく裏木戸をくぐり抜ける。
 それなりに大きい宿の建物をまわりこもうとしたところで、いつもの面子に声をかけられた。
「よおマーク、遊ぼうぜー!」
「昨日の続きやるだろ?」
 とっさに断ろうとして、マークはふと考えなおした。見れば、この時間帯はいつも昼寝しているはずの八百屋のチビもいるし、あの子と同い歳ぐらいのエリックもいる。ポピーは普段マークたち男子がやるイタズラに関してとても口うるさいが、このあいだからのアレについては秘密をわかちあう同志だし、何より女だ。
 これは―――彼らも誘って一緒に遊んだほうが、断然楽しいのではないか?



 玄関ポーチの最後の石段をぽんと飛び降りたリアは、さてどこに行こうかと考えて足を止めた。
 宿の向かいは旅行者向けの雑貨屋だった。おそらく宿の主と示しあわせて店をかまえているのだろう。日持ちのする干し肉や乾物などの携帯食、持ち運びのできる小鍋などにはじまって、火口箱やら革袋やら果ては繕い物のための針や糸まで売っていたが、リアにとってはどれも見慣れたもので、あまり心惹かれるものではない。
 雑貨屋の右隣りはごく普通の民家で、左隣りは靴屋だった。さらにその隣りはパン屋兼菓子屋。少し興味はあるが、一昨日もらった砂糖菓子はまだ充分残っている。さて右に行くか左に行くか。
 父と母がどこの遺跡に向かったのかは知らないが、後を追いかけてはいけないというのはわかっていたし、以前一度こっそり後をつけて見つかってしまい、メチャクチャ怒られて大泣きしてからは二度とやっていない。遺跡はどうせ街外れだろう。なら、お城を見に行くのもいいかもしれない。
 そう思って歩きはじめたリアは、声をかけられてすぐ立ち止まることになった。
 宿屋の横手の路地から数名の子どもたちが顔を出して、興味津々の表情でリアを見ている。リアより年上の男の子が多かったが、五つぐらいの小さな子が兄と思しき少年に手をひかれて目をまん丸にしてこっちを見ていたし、つんとした顔つきの赤毛の女の子と、リアと同い年ぐらいの男の子もいた。
 先頭にたって声をかけてきた少年に見覚えがあるような気がして、リアは少し首を傾げる。
「なあ、一緒に遊ばねえ?」
 ちょっと緊張した顔つきで話しかけてくる彼に、すぐに答えを思いだす。そうだお昼を食べていた時に、食堂のお手伝いをしていた子だ。そっか宿屋の子どもなんだ。
 旅先で出逢った子どもと遊ぶことは、機会は少なかったがないわけではなかった。父と母と旅をするのは好きだったが、仲良くなった子たちとさよならするときだけはちょっと寂しかった。以前暮らしていた家は村から少し離れた一軒家だったし、王宮でリアと遊んでくれるのはユズハと猫だけだ。ここまで歳が近い子がたくさんいるのはめずらしい。こんなにたくさんいると、いったい何をして遊べるんだろう。
「おまえ、おれンちの宿に昨日から泊まってるだろ? ヒマならおれたちと遊ばねえ?」
 話しかけてくる男の子は、旅先で出逢った子たちと同じ顔をしていた。どきどきして、緊張して、リアの答えを待って期待している顔。一緒に遊びたいと思ってくれてる顔。こっちまで嬉しくてどきどきしてくるような、そんなステキな顔。
 お天気が良くて、ブーツはぴかぴかで、一緒に遊ぼうと誘われた。母につねられて腹が立ったことなど、全然気にならなくなっていた。今日は何て良い日なんだろう!
「うん、いいよ!」
 リアは、ぱあっと笑ってそちらへと駆けよった。