香澄みて 花の匂いと とりかえばや―――落葉の巻〈五〉

「そういうことは夜だろうと何だろうと、内裏だいりに文を寄越せえええッ!」
 文を受け取った香澄は思わずそう叫んだ。
 普段は香澄をからかってばかりの雅人も珍しくそれに賛同する。
 しかし桔梗に文句を言ってばかりもいられず、香澄は文句をいいながらも、宮中で事情説明を求める他の貴族たちにどういう受け答えをするか雅人と打ち合わせをしていた。
「桔梗の評判をあげるいい機会だな」
 柱に寄りかかった雅人が目を細めた。
「もっとも、香澄が出仕するようになってから、何かと女房たちの話の種にされているようだが」
 香澄がわずかに顔をしかめた。こちらは長押なげしにもたれて頬杖をついている。
 雅人も香澄もいまだ参内さんだいするときの装束のままだ。
 自邸ではない雅人はともかく、香澄は着替えられるものなら着替えたいのだが、その着替えを手伝ってくれる桔梗が、咲姫の相手をしていて手が離せない。
 別に一人でもなんとかなりはする。が、しかし、香澄たちが邸に帰ってきたときから、普段はつぼねに控えさせている女房たちがみな呼び出されて、来客に備えてばたばた立ち働いているので、性別を偽っている香澄としては落ち着かない。
「まあ、髪の色以外に何か際だって変な行動をしているわけでもない。上がりこそすれ、これ以上落ちることはないだろう―――不満そうだな」
「別に」
 香澄はそっぽを向いた。
「オレは、桔梗が宮中での噂の渦中に置かれるのがイヤなだけだ。噂ってのはどうしても色んなものが入り混じる。良くても悪くても、あんまり好きじゃない。桔梗のことなんかほっといてやってくれよ」
 雅人が苦笑した。
「お前を見てると、ときどきほんとに生まれを間違ったと思うことがあるな」
「オレもそう思う」
 香澄も苦笑いしたとき、桔梗がやってきた。先導の女房もない唐突さが彼女らしい。
 楓紅葉かえでもみじの五つ衣の上に、表が薄青(淡緑)、裏が朽葉色をした同じく楓紅葉の小袿こうちぎを重ねて、さらにその上から薄蘇芳の細長を着ている。いつもより改まった恰好なのは、客人―――咲姫がいるからだろう。
 桔梗の色彩感覚は独特だ。蘇芳と薄青の間に山吹や紅がほの見え、それが一番上の蘇芳の下から動くたびにちらちらと覗いている。地味といえば地味な取り合わせだった。
 雅人が目を細めて桔梗を見た。
「紅葉の下に咲くはぎの花みたいだな」
 落葉した楓の葉が咲乱れている萩の枝に引っかかり、地に落ちずにいるようなそんな色合わせだ。
 それを聞いた桔梗はわずかに首を傾げただけで特に何の反応も返さない。
「ごめんね、香澄ちゃん。着替えるよね? そろそろ民部卿みんぶきょうさまがすっ飛んでこられるかもしれない。急がないと」
「右近の少将は行動がはやい。桔梗の言うとおり、そろそろだろう。さっさと着替えてくるんだな。邸の中でもそんな恰好でいると、軽んじられるぞ」
「言われなくてもわかってる。いいよな、直衣のうしで参内できて」
 それが許されない香澄は、雅人の言葉に顔をしかめている。
「雅人兄さん、あっちで咲姫さまのお相手を努めててくれる?」
「はいはい」
 雅人はちょうど通りかかった女房を呼び止めると、咲姫のところへ先導に出した。
「咲姫さまとっても恥ずかしがりやだから、怖がらせちゃダメだからね」
「失礼だな。そんなことするわけがないだろう。右近少将をからかういいネタができるだけだ」
 意地悪く微笑した雅人を見て、香澄と桔梗は揃って溜め息をついた。
 着替えの装束を持ってきた柚葉が、簀子縁で派手にすっ転ぶ音がした。


 慌ただしく着替えをすませた香澄が、桔梗とともに咲姫のところにやってきたところで、民部卿の訪れが告げられた。
 日は、はや落ちかかって薄暗さを増していて、民部卿を迎えるために先導の女房たちが車宿くるまやどりへと向かうその合間をぬって、別の女房たちが大殿油おおとなぶらに火を入れてまわるという慌ただしさである。
 慌ただしさは落ち着きのなさにつながるが、やってきた民部卿も落ち着きがないこと、はなはだしかった。
 予想外の出来事が起きたあと、外から入ってくる情報に一喜一憂して頭に血を昇らせていた人なので、咲姫との対面に際して落ち着かせるのに一悶着あり、そうこうしているうちに宮中から使いがきて、雅人が内裏だいりに呼び戻されていった。
「つ、疲れた………」
 夜、香澄はそう言うなり脇息に突っ伏した。
 ほとんど来客のない邸にこれほど慌ただしい人の出入りがあったので、普段の倍以上の気疲れを覚えていた。
「お疲れ」
 柚葉が香澄の肩をぺしぺし叩く。
 来客以上に何が疲れるかというと、まだひとつ屋根の下に咲姫がいるので、普段気を緩めている自邸で男のフリをしていなければいけないことである。
 何だかんだで、咲姫の帰宅は明日になったのだ。
「………桔梗も、太秦うずまさの帰りに姫を拾ったんなら、黙ってないですぐに文を内裏までくれりゃいいんだよ………」
 咲姫が手紙に書き、またその通りに貴海が報告した経緯は、夜盗に襲われた咲は従者の手で命からがら逃がされたものの、心を飛ばして倒れていたところを通りかかった桔梗姫の車に拾われた―――ということになっている。
 また桔梗も、従者たちに検非違使けびいしのフリをさせたことは黙っているので、香澄は貴海の報告をそのまま信じていた。
 咲姫が邸を抜け出して闇夜に牛車ぎっしゃを走らせていた理由に関しては、当分のあいだ宮中の話題にされるだろうが、それは香澄とは関係ない。
 普段は桔梗が寝起きしている東の対で、香澄は嘆息して寝殿のほうに視線を投げた。
 なにぶん宮筋の姫である。桔梗も祖母が先の帝の妹宮だし、香澄も曾祖父は先々帝の弟宮なのだが、家格というものがある。
 なので客人に礼をとって、香澄は寝殿を明け渡して桔梗のいる東対にいるのだが、ここの主であるはずの桔梗の方は咲姫の相手をしていてまだ戻ってくる気配がない。
 咲姫はどうやら桔梗を気に入ったらしく、あれこれお喋りしている様だ。
 同性の友人らしい友人がいなかった(唯一の親友はと言えば、これまた男の恰好をしている)桔梗のことを考えると、このことは素直に嬉しい。
 が、しかし。
「あー、明日の出仕はめんどくさいだろうな………」
 何回、同じ事を喋らされるのか、考えただけで気が滅入ってくる。
「………柚葉。お前、もういいよ。桔梗たちのところに行くか、寝るかしな。オレはもう寝るから」
「ン」
 手燭を持って、柚葉が立ち上がる。
「お前もお疲れさま」
「ありがたうううう」
「………その妙ちきりんな言葉遣いはよせ。灯を持ったままこけるなよ」
「うむ」
 柚葉が出ていくのを待って、香澄は灯りを消した。



 予想に違わず、翌日香澄が出仕すると、至るところで人につかまり事の次第を尋ねられた。なかには、まだ香澄が内裏に上がらず中務省なかつかさしょうの侍従局にいるうちから訪ねてくる者もいる。
 昨日の騒ぎは香澄もよく覚えている。
 民部卿とその北の方である皇妹こうまい時宮ときのみやが溺愛しているひとりごの咲姫が行方不明。民部卿の邸で大騒ぎが持ち上がっているときに、検非違使から右京で襲われた形跡のある女車を発見と報告が入り、それが民部卿邸の咲姫失踪と結びつくのにそう時間はかからなかった。
 民部卿は出仕するどころではなく邸で卒倒してしまい、宮中では色々な憶測が飛び交っていたのだ。
 そこに、以前から何かと話題にされていた内大臣家の養子の桔梗姫が咲姫の命を助けた。彼女の車が通りかからなかったら咲姫の命はなかったに違いないとくれば、皆こぞって事情を知りたがる。前者の噂とは違って、命が助かったという明るいものだから聞く方にも遠慮がない。
 まったく雅人と打ち合わせをしていなかったらどうなっていたことやら。
(よっぽどヒマなのかよお前らはッ)
 香澄は内心で思いっきり罵るが、ヒマを持て余して持て余して、娯楽に飢えているのが貴族というものだから、この罵りはまったくのムダだ。
 苦虫を噛み潰したような香澄のところに、梨壺からの使いが来た。
桐耶とうやさまがお呼びです。東宮さまもおいでになっておられます」
「わかった」
 詳しいことを知りたくて、桐耶をツテに東宮その人が香澄を呼び出したに違いない。
(これが東宮さまだけだったらいいんだけどなぁ………)
 扇を眉間にあてて、香澄は軽く溜息をついた。
 桐耶は相変わらず香澄の親友だし、東宮も好もしい人柄の人物だ。二人に話す分には全然かまわない。しかし、その場に女御にょうごが来ているとやっかいだ。
 東宮妃である桐壺女御は桐耶の一番上の姉。どちらかというと右大臣とその北の方や、妹の由紀姫よりの人物なのである。
 それは縁談を断って以来、香澄に対する風当たりの強い一派なのだった。
 まだ右大臣のほうはいい。娘のワガママに折れて香澄を婿に請うたとはいえ、元服前の無位の子どもを婿として遇したくはなかったらしく、香澄が断ったときもムッとしていたもののどこかで安堵もしていたようだった。
 しかし、由紀姫の姉である桐壺女御や、その母親である北の方は「ウチの求婚を断るなんてッ」と思っているらしく、いまだに会うたび視線が痛い。
 まして、香澄を通して桔梗をさんざんに嫌っている。
 ヘタなことを言うわけにはいかないのだ。
「よう、来たな」
 梨壺というのは壺庭(中庭)に梨の木があるからそう呼ばれているだけで、正しい名前は昭陽舎しょうようしゃという。
 その昭陽舎の高欄に体をもたせかけながら、桐耶が香澄に向かってひらひらと手をふってみせた。
 殿上人でんじょうびとや女官たちに捕まるのを避けるため、わざわざ玄輝門から大きく迂回して入ってきたのだが、どうやらそれは予測済みだったらしい。
 高欄の下までやってきて、香澄は溜め息をついた。
「呼ばれたからには来るに決まってるだろ。それにしてもお前、こんなところにいていいのか? 衛門府の人間だろうが」
 貴族の姫君が夜盗に襲われた以上、衛門府の人間は総力をあげて夜盗を狩り出さねばならないはずである。
 問われた桐耶は至って呑気そうに答えた。
「オレは検非違使の次官すけは兼ねてないからな。夜盗の担当は別なんだ。それにもううまの刻(十一時から一時)もとっくに過ぎてるだろ? オレはちゃんと自分の仕事もしたし、お前の仕事が終わるまで待ってやったんだ」
 呆れて、香澄はもう何も言わないことにした。
「で、オレは何を話せばいいんだ。同じ話なら朝からもう何回もしてる」
「オレはまだ聞いてない。それに東宮さまもな」
 桐耶はニヤリと笑った。そうなると、もはや完璧に悪戯小僧の表情だ。
「ちょうどいいことにオレはお前とも、桔梗とも知り合いだからな。中宮さまが華奈どのを使って雅人どのを呼び出すのにならって、オレはお前を呼びだした」
「お前が呼んだんならオレは帰る。事情が知りたきゃ、後で香木持ってうちに来い」
 香澄がくるりと背を向けると、桐耶が慌てて手を伸ばしてほうの襟をひっつかまえた。
「待てッ。お前を呼んだのは本当に東宮さまだっ。オレはいいツテにつかわれたんだよ!」
「―――やれやれ、いいツテだとは私も散々な言われようだ」
 涼やかな声がして、一人の青年が廂の間の簾中れんちゅうから姿を現した。長身ですっきりした身のこなしの、以前に香澄が形容したように非常にイイ顔をした美男子である。
 香澄が、男装の美―――いわゆる一見しただけでは男か女かわからないような線の細さがあるのとは違って、こちらは線のはっきりした精悍な美形だ。
 その青年が扇を片手におかしそうに笑っている。
 桐耶と香澄の動きが一瞬にして止まった。
「東宮さま―――!」
 会話を聞かれていたと知って、桐耶が焦る。
 笑いながら東宮は言った。
「まあ、衛門佐えもんのすけ侍従じじゅうと友人でよかったとは思っているよ。現にこうして、誰よりも事情に詳しいところにいるあなたがここにいる」
 促されて、香澄は昭陽舎に上がりこんだ。
 東宮は簾中に戻っていき、香澄は桐耶と並んで簀子縁に座す。
 御簾の内側には、東宮だけでなく女房の気配がたくさんあった。鈴なり、と言ってもいい。
 香澄は広げた扇の影で何度目かの溜息をついた。
 それを耳ざとく聞きつけて、東宮が笑う。
「侍従の君にとっては同じ話をまたくり返すだけでつまらないだろうが、ここはひとつ我慢してほしい。民部卿の姫君を助けたのは侍従の北の方なのだろう?」
「はい。どうやらそのようです」
「おや、まるで他人事のように話すんだね」
「一昨日はわたくしは宿直とのいでしたので、何も知らずにいましたところ、内裏に文の使いが来まして事の次第を知ったのです。わたくしに詳しい説明をお求めになられても困ります」
「源侍従、そこをもう少し詳しく。北の方から色々と聞いてるのだろう?」
 桐耶が不満そうに香澄を見てそう言った。
 さすがに東宮の御前では、さっきのようなくだけた会話はできない。
「姫……いえ、さいは、太秦にありますゆかりの尼寺よりの帰りでして、日も暮れて道を急がせておりましたところ、道に伏していた咲姫さまをお見かけして只事ではないと思い、邸まで運ばせて介抱したと申しております」
「太秦に縁の尼寺? ああ、祖母の尼君の寺があのあたりだったか?」
 桐耶の問いに、香澄は黙ってうなずいた。
 そこに東宮の面白そうな声がかかる。
「衛門佐も侍従の北の方とは筒井筒つついづつなのだったね。どうやらよく見知った間柄のようだ。侍従の北の方である桔梗姫とはどんな姫なのだ?」
 しまった藪蛇、と言わんばかりの顔を桐耶が扇で隠して、謝るようにそっと香澄を見た。
 簾中に控えている女房には女御よりの心情の者も混じっているだろう。当然ながら、ここで話したことは後ですべて桐壺に筒抜けになる。
「どう、と申されましても………」
「困ったな」
 言葉を濁した桐耶に、東宮は御簾の向こう側で本当に困ったような声を出した。
 そうすると言葉遣いとは裏腹、若々しい印象になる。事実、まだ十八だ。
「侍従の君の気分を害するつもりはないが、私とて桔梗姫のちまたでの噂は聞いているよ。しかし、衛門佐も姫のことを好ましく思っているようだし、今回のことからしても噂が間違っていることぐらいは誰にでもわかる。だから実際のところを知りたいのだ」
 香澄は腹を据えた。
 ここは徹底的に向こうの会話に合わせるしかあるまい。
「東宮さまは、わたくしの惚気のろけをお聞きになりたいと申されるのですか?」
「左近少将と並んで後宮の人気者である侍従の君に延々と惚気られては女房たちも辛いだろう。だから私は衛門佐に聞いているんだよ」
「わたくしをお召しになられたわりに、肝心のところは桐耶にお訊ねになるのですね」
「惚れた弱みというものもある。侍従の君の話は話半分ほどに割り引いておかないと。それなら最初から割り引く必要のない者に尋ねたほうが得策だろう?」
 皆がどっと笑い、場が一気に華やいだ。
 内心、こんなことをやっている自分がイヤになってくるが耐える。
 世間一般では自分は桔梗と夫婦で、右大臣家のぜひにという申しこみを蹴って彼女を選んだことになっているのだから、これくらいのことは日常茶飯事なのだ。
 お前ってヤツはよ、と言いたげに桐耶が香澄のほうを見た。腹芸とでもいうべき、色々上手く立ち回る処世術が苦手で、すぐに顔に出るタイプなので、香澄の公達ぶりがうらやましいらしい。
「やれやれ。うまくかわされてしまった」
 東宮がくすくす笑って、扇をパチリと鳴らした。
 それを合図に、控えていた女房たちが名残惜しそうに御前から下がっていく。
 充分に間を置いてから、東宮は脇息きょうそくにもたれてわずかに身を乗り出した。
「ところで、衛門佐、侍従。折り入って頼みがあるのだが」
『お断りします』
 こればっかりは桐耶と香澄は口を揃えて即答した。
 御簾の向こう側で東宮がムッとした気配がする。女房たちの目がなくなると、ぐっと雰囲気が砕けて年相応の言葉遣いになっていた。
「何も言わないうちからそれはヒドイのではないか?」
 しかし、香澄も桐耶も負けてはいなかった。
「東宮さまの折り入っての頼みで、いままでに何度も大変な目に遭っておりますので」
「例によって、またお忍びの手引きを頼まれるのでしょう?」
 容貌、気質、才能ともに非の打ち所のない東宮の唯一の悪癖がこのお忍び好きで、もうすでに何度も香澄や桐耶はその手助けをさせられている。後宮に間遠な香澄はともかく、東宮お気に入りの桐耶は特にその被害にあっているようで、扇の影でげんなりした顔をしていた。
 その二人にたたみかけられても東宮は悪びれなくうなずいた。何をしてもどんな仕草にも愛嬌があって恰好いいのが、この人物の始末に負えないところだった。
「その通り。よろしくたのんだ」
「お引き受けするなどと言った覚えはありませんッ」
「そうです! だいたい、洛中(京内)ならまだしも、嵯峨さがやら宇治やらに軽々しくお忍びなされると、東宮大夫とうぐうだいぶである兄に後で怒られるのはオレなんですッ」
 つい地がでて一人称を元に戻してしまった桐耶が、慌てて扇で口を押さえた。
「御自分の身分をわきまえになってください」
「わかっている。これで最後だよ。三条の市を見に行きたい」
 東宮は扇で御簾をわずかに持ち上げて二人を招いた。
 廂の間に二人が入ると東宮はゆったりと脇息にもたれながら、扇の影でささやいた。
「今上がそろそろ譲位をお考えになっているそうだ」
 二人はわずかに目を見開いた。
「そうなれば私はみかどだ。いままでのように軽々しく出かけていくわけにもいかない。だからこれが最後だ」
「そうおっしゃられるのはこれで三度目でございますが」
 いやみったらしく香澄が言うが、東宮はそれに首を傾げた。
「そうだったかな?」
 すっとぼけているように見えるが、実はコレは地だ。本気で忘れている。
 お忍び好き以外の他の欠点はといえば、この忘れっぽいところだろうか。
 東宮は、頬杖をついて二人を見た。
「二人とも、私の頼みを聞いてくれるだろう?」
 もはや何を言ってもムダ。
 香澄と桐耶は顔を見合わせると、無言で溜息をついた。

〈適当な用語解説〉(あくまで雰囲気をつかむためのものです)

長押……なげし。柱と柱の間にある段のこと。寝殿造りは部屋の中央にある母屋から廂の間、簀子縁と、外側にかけて一段ずつ低くなっているピラミッド構造なので、段に肘をついてよっかかったりできたのです。

楓紅葉(五つ衣)……かえでもみじ。単も加えて下から順に、蘇芳、紅、山吹、黄、薄青、薄青と重ねる。

楓紅葉(表と裏)……表薄青。裏朽葉。 しかし、にすると見事に裏地の朽葉色は隠れてしまいました(^^;)

細長……ほそなが。説明しづらいです。裳と唐衣を合体させたような、貴族の姫君たちのおしゃれ着です。ジャパネスクで由良姫及び煌姫が、源氏物語で女三宮が着てます。を参照。

大殿油……おおとなぶら。殿中で用いられた油のともしび。灯台や手燭、灯籠や紙燭と何が違うのかというとよくわかりませんが(待て)。枕草子から考えるだに、皿に油を入れて燈芯を入れたもののことを言うんじゃないでしょうかね。

侍従局……香澄の仕事場、のはず。ついでに言うならジャパネスクの融の役職もこれ。ここらへんは詳しいことがよくわかりません(嘆息)。そもそも侍従の仕事自体が蔵人にとられているのでどんな仕事していたのかもナゾ。枕草子で籐侍従がからかわれているところを見ると、たいした役職でもあるまい(笑)

殿上人……でんじょうびと。天皇が暮らす清涼殿にある殿上の間にあがる資格を持っている人。五位から上の位を持っていることが最低条件。一種のステータスだった。もちろん、天皇が清涼殿で猫を飼っていた場合、その猫も位をたまわって殿上人になる(笑)

東宮大夫……とうぐうだいぶ。東宮の側まわりの事務などを担当する東宮坊の長官。ここでは桐耶のお兄さんがそうです。